ブックマーク / protectjapan.jp (2)

  • 在日クルド人問題、トルコメディアで報道ー議論を広げ、埼玉県の安全を守れ

    在日クルド人による違法・迷惑行為で、私・石井孝明のインタビューを使った記事が13日トルコメディアに掲載された。新興論説メディアのTamgaTurkで、書面でのやり取りで、私の回答の多くを使ってもらえた。記事はJaponya’daki Kürtler Dosyası: Japonlar Yaşananları TamgaTürk’e Anlattı「在日クルド人に関するファイル、日人ジャーナリストが語ったこと」 だ。 私はこのインタビューで意図して、また在日クルド人の反トルコの動き、今トルコ国民が関心を持ち戦闘であるクルド人系テロ組織PKK(クルド労働者党)の日での動きを中心に情報を提供した。多くのトルコ人が関心を持って読んでくれたようで、反響は大きかった。 日では知らない人が多いが、トルコは中東の大国で、G20メンバーの先進国の一つで、イスラム圏で唯一民主主義を維持し、国民の教育程度

    在日クルド人問題、トルコメディアで報道ー議論を広げ、埼玉県の安全を守れ
    nessko
    nessko 2023/09/20
  • 台湾・朝鮮有事、6万人の邦人脱出をどうする?

    前の朝鮮戦争、日米の行動の違い 「韓国の2000人の米国人と国連要員を救出する。私は即座に行動した。救出作戦は成功した」。朝鮮戦争の際に、米軍の指揮官でもあったダグラス・マッカーサー元帥は朝鮮戦争を振り返る回想録で誇らしげに記している。 朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮の奇襲侵攻で勃発した。海路、空路の避難で、米国の民間人は一人の犠牲も出ずに、3日ほどで日にほぼ全員が到着した。米軍は民間人の脱出計画を戦争勃発時点で持っていた。マッカーサーも当時の米軍も、実は北朝鮮軍が攻めてくる可能性は少ないと予想していたが、それでもしっかりと避難計画は作っていた。 一方で、朝鮮戦争勃発時に日人の帰国は大変だった。敗戦後に日人は植民地だった朝鮮半島から大半が帰国したが、全容は不明ながら少数は残ったようだ。当時は日韓に外交関係はなく、邦人は自力で脱出し、日の貨物船などに収容された。当時軍がなかっ

    台湾・朝鮮有事、6万人の邦人脱出をどうする?
    nessko
    nessko 2023/04/25
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