木下千花 濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』は、やわらかく青みがかった大きな窓を背景に、ぬらりと身を起こしたまま語る女の黒いシルエットで始まる。女は言う。「続き、気になる?」 本作が村上春樹の同名作品ばかりではなく、短編集『女のいない男たち』(文春文庫、2016年)にいっしょに納められた他の短編からも想を得ていることを知っている者なら、すぐに思い当たるはずだ。「ああ、「シェエラザード」だ」と。シェエラザードは、同名の短編小説において、ある秘密組織の「ハウス」に滞在している語り手の男性の元に1、家事と性的サーヴィスを提供するため週に2回ほどやってくる30代の主婦であるが、性行為のあと、あたかも『千夜一夜物語』の美妃のように面白い話を語って聞かせるのだ。 しかし、類似はすぐに疑問を招き寄せる。なぜこの女、音おと(霧島れいか)は、ベッドの上に半身を起こして語っているのか。夫であり、この映画の主人