野田財務相は15日午前の閣議後の記者会見で、靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯について、戦争犯罪人には当たらないとの考えを示した。 野田氏は、2005年の小泉政権当時に政府に出した質問主意書で、サンフランシスコ講和条約などで戦犯の名誉は法的に回復されているとし、「戦争犯罪人ではない」と指摘していた。記者会見では「考え方は基本的に変わりはない」と語った。首相の靖国参拝は「首相になる方の判断だ」と述べるにとどめた。
北海度のキャラクター、長万部のまんべくんが戦争に関するコメントをして、運用会社が契約をとかれ、twitterアカウントは停止となったという。おそらく停止にいたるまでは、また現時点で役所等には色々と意見がよせられているだろうが、マスコミがとりあげる情報は、ただそうした状況の描写にとどまっている。民主主義国家である以上、言論の自由を尊重し、意見を交換し、またメディがそれをフォローするのが当然だと思うのだが、どうも日本ではそういうことはおこらないらしい。 なぜこういうことがおこるのだろう。日本に暮らす友人は、震災と原発事故をうけてなお、人々は社会的に沈黙をたもっている日本国民の有り様に違和感を感じると伝えてくれた。なぜ、日本の人々は喋らなくなったのだろう。私は、90年代から興った個人主義を軸にしてとらえることはどうだろうかと思う。 日本における90年代(起源としては、70年代のいわゆる革命闘争の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く