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ブックマーク / pie.hateblo.jp (13)

  • 2007年のtwitterで何が起こっていたのかまじめに振り返ってみる - 予定地

    なんか「あの頃のノリをもう一度」みたいなのをよく見かけるので、どうやったら再現できるのか、そもそもどうしてああなったのかを考えてみようと思って。尚、私は2007年4月初週にはじめたので、そのへんの人による考察です。2007年組と2008年〜2009年最初ぐらいの人、両方、初期「ついったー」に愛着を持ってますが、厳密にはちょっと違うとこがあるように思います。 それまでのあらすじ 2004年にmixi開始→Web企業の社員がmixiでつながりだす 招待制により「身内の優越感」が煽られ、盛り上がった その後、サービスの規模が拡大し、趣味友達や近所の飲み仲間とかもだいたいmixiコミュニティでつながるようになった 一方、当時はスターエンジニアの時代でもある。勉強会などによって東京のWeb系エンジニア同士はわりと顔見知りだったし、身内IRCで盛り上がっていた。サブテク入りたい。 2006年12月

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    nhayato
    nhayato 2017/04/14
  • ■ - 予定地

    STORY (ストーリィ) 2014年 12月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 光文社発売日: 2014/11/01メディア: 雑誌この商品を含むブログ (1件) を見る こういう「私たち」って気持ち悪い主語だと思ったけど、まさに、そこに共感できる人こそが「私たち」なのであって、なんじゃそれ気持ち悪いって思う人はターゲットではありませんよってことがわかりやすくて、むしろ親切かもしれない。 たとえば「女性なら一生もののハイブランドジュエリー持たないと」って大きい主語で語ってしまうと「女だけどそういうのいらないし」「一緒にしないでくれ」的な無駄な火種を撒くことになるけど、ここで「私たちが欲しいのは一生使えるハイブランドジュエリー」って言ってくれているがために「ワテはそんなもん欲しくないわいな」って人としては、「世の中にはずいぶん引出限度額の高いATMがあるもんだな」って切り離して考えればいいだ

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    nhayato
    nhayato 2014/11/06
  • ■ - 予定地

    なんか母性が余ってるから年下とかダメっぽい人を好きになるのはよくない、みたいなことを言われたんですけど、それは非常に心外な感じする。だいたいもともとが妹キャラですし、甘えたがりですし、母性というか育成欲は仕事ゲームで十分みたされてる。 で、どうして年下の人と接する頻度が高いのかという話になるけど、それは別にこっちが選んでいるわけではないと思う。だいたい自分より年上の人ってたいてい奥さんとか子供がいるから、物理的に倫理的に恋愛の対象として外れるというのがまず一点。おっさんは遊んでくれない。(普通に友達としてサシで飲みに行くことすら奥さんがいると難しいのですよ) 次に、人格面で「わからない」ということに対する謙虚さと誠実さがないと話してて腹が立つ感じなのが大きい。抽象的な表現だけども、常に「これまで自分が認識していたのと違う認識があるかも知れない」という気持ちを持ってるか持ってないかって、す

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    nhayato
    nhayato 2014/10/04
  • ■ - 予定地

    ベビーカーとか日傘とか輪行とか、最近そういうちょっとしたことに殺意覚えるほどイライラしてる人をネットでよく見かける感じして不穏だと思う。でも、それってそれ自体が悪いというより、その場に人が多すぎるから迷惑になってる感じがする。 過密な環境で暮らすと、相当のレベルで周囲に高度な気遣いが求められるんだけど、それは単に過密環境に特化されたマナーで、別に普遍的というわけではないのに、どうも過密であることが異常だとは誰も思わなくて、それ自体が悪いみたいな感じで非難されるの、なんかずれてる気がして、結果的にどんどん世の中が窮屈になるように思う。 もしかしたら過密環境については避けられないものとして扱っておいたほうが平和、みたいなのがあるのかも知れない。

    ■ - 予定地
    nhayato
    nhayato 2014/08/09
  • ■ - 予定地

    仕事とかでつらいことあったときに、社外の人に(守秘義務に反しない範囲で)つらいって言うと「仕事ってのはそもそもクソだよね」「仕事なんてしなくていい世界にいきたいよね」みたいな前提で慰められることが多いんだけど、社内の人の場合はわりと「こうしたらどうやろ」みたいな感じの話になって、そこにはすごい救いがあるし、前者みたいな話し方されると「そういうのとは違うんや」って思うので、うちの会社はいい会社なのではないか(というか合ってるのではないか)とは思う。 仕事って、それ自体は、それほどクソというわけではないと思う。自分がいい気分になるとき、たいてい誰かの仕事のおかげでいい気分になってることを考えると。でも仕事=クソではないと思っているからこそ、クソみたいな事態になったときに辛くなるわけで、なんというか。 でも、少なくとも地球上の全員が仕事しなくていい世界になったら、仕事がない世界で自分がくつろいで

    ■ - 予定地
  • ■ - 予定地

    グローバルな会社の東京支社で働いてる人「公にネガティブなことをいうことが許されない雰囲気がある」みたいな感じでこぼしてて、確かにそうだなって思った。 確かに、関西だと「しんどい、なんぎ、あかん」みたいなゆるいネガティブワードを軽く吐いても許される雰囲気があるし、軽い自虐は礼儀みたいな部分もあるし、究極的には「仕事なんかせんでも生きていけるし」みたいないい加減さもあって(さすがにそれは地域とかコミュニティによるかもだけど)、東京にいったばかりの時、どうもそういう態度を誤解されて周囲からの評価が低かった感じがある。関西人の自虐的謙遜、東京で通らないというか気で心配されたりするから、ずっと関西で仕事とかで東京に行く人は言葉のアクセントよりむしろそっちを気をつけたほうがいいかも知れない。 でも一方で関西においては「しんどい」「せやな」→以上終了。って感じもあって、四六時中自虐にふけったり愚痴って

    ■ - 予定地
    nhayato
    nhayato 2014/05/12
  • 性善説とか - 予定地

    (承前:所属する企業とかそれ以外の特定の企業には関係ない個人の意見です) よく、何かのサービスリリースして、悪い人対策に不備があったりすると「性善説で運用してる」みたいな言われ方するけど、どうもそれに強く違和感がある。 20年前ならいざしらず、現代では、サービス作る時に大抵の人は「いずれは悪いことが発生する」とどっかで思うだろうし、ある程度の年月サービスを運営してご飯べてるんだったらなおさら具体的な事例はいくらでも思い浮かぶものだし。*1 だから、サービスが、そういうのを想定していないかのように見える場合、たぶん、大抵の場合、それよりもなによりも、今、このタイミングでリリースするほうが大事だから、事前にそういう機能をつけずにリリースしているのだと思う。 別に「利用者がみんないい人である」とかそういう信念に基づいているわけではなくて、悪い人によって誰かが嫌な目に合うリスクと、サービスを適切

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  • 学会誌の表紙のはなしとか - 予定地

    最近話題になってるあれ、ロボ家政婦さんを学会誌の表紙にするのが差別かというと、私の感覚ではそういう感じはしない。 たぶん、現代の日において、同じようなイラストレーション表現においてロボ執事が登場しても、気のいい家政夫のお兄ちゃんロボが登場しても、そこにまったく違和感がない状況だからだと思う。 イギリス式の執事が日のフィクションには多く登場し、彼らのほとんどが家事全般をプロフェッショナルとして請け負っている。そういう状態なので、すでに二次元表現の世界では、家事労働は「女性のみに課せられた奴隷労働」ではないし、物語の中では男女平等が成立していると思う。 さらに、現実世界でもそうなりつつある。ちょうどさっきマンションのエレベーターで掃除屋さんの若い男性と乗り合わせた。プロが家事を請け負う場合、性別は関係ないのだ。それゆえに、あのイラストは特に差別を助長するものではないと感じた。 あれを問題に

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    nhayato 2013/12/31
  • 期待の若者とか - 予定地

    「期待の若者」がいまいちパッとせずに終わる理由って、若いうちにすごい人脈を作りすぎるとその人たちを裏切れないからなんじゃないかなと思った。 すごい人といっぱい会うと、中には利害や価値観が相反する人たちもいて、そんな中でどちらの顔もつぶせないとなると、ダブルバインドに陥って何もできなくなるというのは容易に想像つく。そういう状況に陥らなくても、一時代を築き上げた大御所というのは、だいたい終わったか終わりかけの人なのだから、そういう人たちから期待をかけられ、それを裏切れない以上、彼もまた終わった時代の中に生きるしかなくなるのでは。 まあ、期待をかけるほうにしてみたら、もう終わりかけの自分たちの代わりに次の時代を作ってほしい、必要とあらば踏み台にしてほしい、と思うからこそ期待してるんだけど、若いのに(さらに、特に挫折もなく若いうちからすごいことができるほど環境と能力に恵まれているのに)そこまでした

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    nhayato 2012/07/19
  • ■ - 予定地

    たぶん、現状のスキームで「まとめ」をCGMでやるというのは無理。 調べてまとめるモチベーションとか、それによって得られるインセンティブとか、そういう土台な部分を鮮やかにひっくり返すような仕組みが見つからない限りは、ソーシャルジャーナリズムもキュレーションも健全には発展しないと(ごく個人的に)思う。

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  • フェイスブックあるある - 予定地

    知り合いがちょっと知ってる有名人とうつってる写真アップしたとして、そのコメント欄で「わあXXさんも●●さんとお知り合いだったんですか、私もどこそこでで一度名刺交換させていただいたことがあってこんど機会があればぜひお話を」って絡んでくる人みてるといたたまれない気持ちになる・・・ (そういう人脈乞はバレないように水面下でやるとイイゾ!)

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  • ネット人格とリアル人格の統合と、ときどき実名 - 予定地

    前から主張している通り、ネット上で実名で活動するとかはネット人格とリアルな人格を結びつけるためにわりと大事なファクターではないと思っていて(個人の見解です)、単純に ネットでAと知り合う リアルでBと知り合う AとBが知り合う ということが日常的に起こっているならば、たとえそいつが「うんこためぞう」と名乗っていても、実名であるのと実質変わらないと思っている。 これまで、それはあまり当たり前じゃなかったけど、これからはわりと当たり前になっていくし、当たり前になっていけば、ネット人格とリアル人格が統合したその人の名前を自分であるいは他人がつけるようになるんだろう。 姓名判断師はそろそろビジネスチャンスかもね。 「いろいろ名前があって、その関連性はみんなだいたいわかってて、だけどあえて何て呼ぶかでどういうつながりであるかが認識される」ということもある。例えば、私は id:a666666の名は知

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    nhayato
    nhayato 2012/02/05
  • ■ - 予定地

    「インターネットを通じて普通では出会えなかったはずの人と友達になる経験をしたことがあるかどうか」って大事だ。そこに重きを置いてる人が当然持ち得る想像力がない、ということはわりと致命的な気がする。

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