大企業での過労死の悲劇をきっかけとして、働くことや生きることについて多くが語られている。「頑張る」「逃げる」といった態度の解釈が問われるのも、自然なことだ。悼む者としては、義憤を並べることもできるだろう。亡くなった人といま危機にある人に向けて、もし自分にしかかけられない言葉があるとすれば、今までのそれほど長くない人生で自分の身に起こったことを、特に努力ではなく逃走についていくらか語ることかもしれない。 幸いにも自分は命を絶つほど思いつめることはなかったし、これからもないと信じたいが、状況を克服した人間のバイアスほど危ういものもない。語ることで誰かを救えるのかは、分からない。むしろ誰かの気分を害するのかもしれない。だが、これは言霊の常として引き受けよう。せめて、(思春期以降の複数の経験であるということを除いて)なるべく具体的な状況を特定しないようにしたい。 これは本当に餞になるだろうか。どち