kao(花王)のCM「おかえりなさい」篇で、XJAPANのFOREVERLOVEをカバーしている女性はアーティストは「日之内エミ」さんです。 おかえりなさい篇 http://www.kao.co.jp/corp/ad-cm/cm.html 日之内エミ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B9%8B%E5%86%85%E3%82%A8%E3%83%9F
磯部涼「音楽の(無)力」 2011年05月24日00:00 担当者より:音楽ライターの磯部涼さんに、311以降の状況を踏まえ、音楽の力について論じていただいたものです。磯部さんは今年の夏にこれまでの原稿をまとめた『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)が刊行予定で、そちらも要注目です。 更新日:2011/05/23 3月11日14時46分、その時、部屋に流れていたのはアンテナのベスト・アルバムだった。早春の午後の柔らかな日差しに、如何にも80年代的な音色を纏った薄いサウダージがぴったりで、実に良い気分だったのを覚えている。そして、あの地震が起こった。筆者は渋谷区在住のため、被害は床に積んであったCDやレコードが倒れたぐらいで大したことはなかったのだが、それでも経験したことのない揺れで何処か非現実感があった。同時に、その間も鳴り続けていた音楽が上滑りして行くような妙な感覚が印象に残
2011年3月21日、僕の妻が亡くなりました。 娘2人を連れて行っていた旅行先で脳梗塞で倒れ、帰らぬ人となりました。 あまり、面と向かって云ったことないけど 僕は彼女の事が大好きでした(いまでもだけど) 彼女は僕の妻でしたが、同時に僕の一番の親友でもありました。 僕と違ってカラっと底抜けに明るく、 いつも僕を笑わせようと企んでるひとでした。 料理が上手で、食べるのとお酒を呑むのが大好きなひとでした。 僕と娘の心配ばかりして、自分の事は後回しにするひとでした。 家族を守るという気持が人一倍強いひとでした。 会社の調子が悪いときは「やまちゃんは天才だから大丈夫。やまちゃんバブル来るよ」って 励ましてくれてました。 僕の毎日は彼女が居てくれることで成立していました。 彼女が僕を好きになってくれたことが嬉しかった。 彼女が僕と結婚してくれたことが嬉しかった。 一葉と凉を産んでくれたことが嬉しかった
いろいろと思うところがあって、新しい音楽を開拓&垂れ流しにできるオススメ or 人気の音楽ストリーミングサービスを紹介したいと思う。 Jamendo Jamendoは、世界最大のクリエイティブ・コモンズ・ミュージックサイト。現在配信中のアルバムは4万6千枚を数え、30万曲超のCCミュージックを提供している。Jamendo自身も、おすすめの曲のJamendoラジオストリーミングを行っているが、Chrome拡張のJamendo Radioを導入するとさらにカスタマイズされたラジオチャンネルの作成が可能になる。こうなると、ブラウザを立ち上げている間中、好きなジャンルの音楽をかけっぱなしに出来てしまう。 また、Chromeユーザ以外の方には、Jamendo APIを利用したJamendo HTML5 Audio Playerがおすすめ。こちらは、タグをクリックすると自動的にそのジャンルの楽曲のプレ
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とりあえず現段階での設定やら試してみた内容のメモとか。 セキュリティ周りの設定 とりあえずケータイを変えたときに真っ先にするのが、万が一ケータイを落としたときの設定。ロックNoがデフォルトのままとなっている場合、まずロックNoを変更(M411)。それが済んだら、オートロックの設定(M412)。これは電源をOFFにすると自動的にケータイにロックを掛ける機能。ケータイを落としてそれに気付かぬうちに誰かに勝手に使われたとしても、最悪電源が切れればそれ以上使われることはないワケで。 続いて遠隔オートロック(M413)。これは登録した番号から指定した時間内に指定した回数着信があった場合、ケータイをロックできる機能。落とした時には有効な機能なので、是非設定しておきたいところ。私は自宅もしくは仕事場から、3分間に3回着信があった場合にロックを掛ける設定にしてます。W51CAだと遠隔ロックを掛けた瞬間にメ
METALLICAの迷盤?「LOAD」の販促グッズとして今や伝説となった あの「メタリカ学習帳」をリクエストに応えてここに公開!! これが表&裏表紙・・・一見何の変哲もない学習帳。 しかし、よ〜く見ると誰もが遠い昔にお世話になったあの 「ジャ○ニカ学習帳」 にソックリなのだ!!やり過ぎやろメタリカ(笑) NEXT→
究極の「癒し系」ミュージシャン, ジミ・ヘンドリックス 彼の放った轟音は, いったい何人のヒッピーを 救うことができたのか? 1969年8月15日に僕は生まれた。この日付を見て,ピンときたロックフリークも少なくないだろう。今から32年前のこの日,海の向こうのアメリカでは,50万人が集まったというロック史上最大のイベント,ウッドストック・ミュージック&アート・フェアが開催されていた。音楽には人々を動かす力がある,ロックには社会を変える力がある,と,まだ誰もが信じていた幸福な時代だ。 その当時,アメリカでは長引くベトナム戦争に対する批判が高まり,反戦デモや徴兵拒否が相次いでいた。若者たちは「ピース&ラブ」を合言葉に道行く人々に花を配り,「正気の殺人よりも狂気の眠りを」を合言葉にドラッグに溺れていった。ウッドストックに集まってきたのも,多くはそんな若者たち,
love kiss kaiさん(11/28)でriot grrrlの話題で捕捉されていました。僕が知っているのも同じサイトで言及されていたCatch That Beat!さんのこちらの記事くらいのことしかない(というかこれって、id:sayuk:20031107#p1で触れたファンジンに載ってたのと同じものですね)ので非常に恐縮です。 そのつたない自分の知識で書くと、riot grrrl(ライオット・ガールと読む)というのは男性中心主義的だったロックシーンに抗する動きで、つまりは「女にロックのことなんか分かるか!」みたいな意識への反発だったんじゃないかという印象があります(間違ってたらごめんなさい)。ロックという、各種メディアの中で最も「自由と平等」に近いと思われていた分野に含まれる抑圧みたいなのを見出したという点でもこの動きは大きかったんじゃないかと思う。これも誰かの言っていたことだけど
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