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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (4)

  • オタク同士のコミュニケーションが、オタク界隈の細分化・多様化によって受ける影響 - シロクマの屑籠

    2006年現在の日は、各人の所属する文化・習慣・価値観の多様化が著しい状態だとしばしばいわれるが、オタク文化圏もまた、カルチャーの細切れ化がとりわけ進行している分野のひとつと言えるだろう。ゲームやアニメといったコンテンツが無尽蔵に氾濫し*1、好み・ジャンルによって樹状の枝分かれを遂げた現在のオタク文化シーンの全体像を把握することは、一人のオタクにとって殆ど困難になっている。例えばエロゲーという分野なり、例えばミリタリーという分野なりは、それぞれのジャンル内だけでも幅広いニッチに分かれており、同じエロゲー愛好家の間でさえ、“互いに翻訳可能な共通認識のあるゲーム”を探しながら話をしなければならないという状況は少なくない。相手の知らないゲームの話をする際、「月姫の琥珀さんみたいなキャラ」とか、「スクールデイズっぽい黒さ」などといった表現を用い、何とか自分の考えを伝達しようとしたオタクさんは決し

    オタク同士のコミュニケーションが、オタク界隈の細分化・多様化によって受ける影響 - シロクマの屑籠
    ni-to
    ni-to 2006/07/22
    細分化・多様化
  • オタク小集団のなかでは、誰もがナンバーワンになれる - シロクマの屑籠

    ポストモダン的状況下でライバル達に差をつける記号は何? - シロクマの屑籠 以上のテキストで指摘した通り、昨今の日では、音楽でライバルに差をつけるのはあまり効果的ではないと思う。果てしなく細分化された文化ニッチ内でどれほど高位を得たところで、同好の士以外にはたいした感銘を与えない。むしろ音楽なり文学なりに時間・金銭などのリソースを集中させてしまった事の裏返しとして、色々なことが疎かになってしまい、キモいだとか世間ズレしているだとか後ろ指を指される確率が高いかもしれない。特定のhobbyに対する高い造詣を持ちながらも仕事恋愛・その他の文化などへの適応力を十分維持し出来ている男性は、いかにも女の子受けがよさそうだが、そんなスーパーマンはそういるものではないし、凡人には出来るものではない。たいていの人は、趣味への資源配分を減らすか、趣味の代償として生活や適応力を犠牲にするしかない。 この傾向

    オタク小集団のなかでは、誰もがナンバーワンになれる - シロクマの屑籠
  • 都会のオタクと田舎のオタク - シロクマの屑籠

    私は田舎オタクである。そうに違いない。そんな田舎の私にとって、以下のテキストは他人事ではなく、日々の実感に即したものだと思う。 文化と差別、そして「おたくと新人類」 - ARTIFACT@ハテナ系 1997年頃からは、インターネットやniftyserveのお陰で、私も上京してオフ会に出たり東京で買い物をする事が出来るようになった。東京で、各分野オタク文化の最先端を取り込んでいる人達から話を聞き、コンテンツを教えて貰ってちょっと遅く導入する。それと、都会では様々な人と遭えるので、目新しい文化や価値観に触れる機会を得ることも出来る*1。こんな事は昔は出来なかったし、今自分が能動的にオタクやっていられるのも、情報網・交通網の発達のお陰だとは思う。 それでも、首都圏−地方の格差は今でも厳然と存在している。田舎オタクをやっていて首都圏のオタクに近いコンテンツ摂取をしようと思うと、余計な努力を余儀

    都会のオタクと田舎のオタク - シロクマの屑籠
  • オタク達は、もはや技能集団でなくなりつつある - シロクマの屑籠

    古参のオタクさん達から、最近よく聞くニュアンス。 「オタクか否かの基準は、最近ではスペシャリストか否かを殆ど問われない」 「オタクとしての基準に、濃さという尺度は殆ど関係ない」 と。 さもありなん。かつてのオタクは、マイノリティ中のマイノリティ趣味を、自分の力で開墾しなければならず、その敷居の高さ故に各ジャンルのオタク・マニアになるには積極的かつ相応の労力が必要だった。消極的になれるほど、当時のオタク界隈は甘くなかったと記憶している。例えばパソコンゲームをやるにしても、最低でもMS-DOSを何とかいじれるぐらいの技能は必要だったし、テープレコーダー時代はもっとひどかった(らしい。そこまで旧い時代は私は経験してない)。同様の傾向がアニメその他にも言え、オタクオタクとして特化しアイデンティティを形成するには、コンテンツ探しやコンテンツ入手の段階から相応の努力・能動性・アクティビティが要求され

    オタク達は、もはや技能集団でなくなりつつある - シロクマの屑籠
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