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ブックマーク / inri.client.jp (2)

  • ナチスと秘密結社 ~「ナチ党」のルーツ~

    ~「ナチ党」のルーツ~ ── 前身組織の実態 ── ナチス前史を溯って行くと、19世紀末ウィーンに芽生えた 2つの宗教的サークル(秘密結社)に行きつく。ランツが創設した 「新テンプル騎士団」と、リストが創設した「リスト協会」である。 そしてこの2つの黒い流れは「帝国ハンマー同盟」の姉妹地下組織である 「ゲルマン教団」を媒介にして合流し、第一次大戦後のミュンヘンにおいて ナチスの思想的母体となった秘密結社「トゥーレ協会」を生み出す。 そしてこの「トゥーレ協会」が生み出したドイツの右翼政党が 「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」、 すなわち「ナチ党」であった。 以下、それぞれの組織の実態について 順番に紹介したいと思うが、「ナチ党」のルーツを見ると、 ナチス・ドイツは一種の「カルト帝国」だったと言えるかもしれない。 オウム真理教のような「カルト団体」が、ドイツという1つの国家を 乗っ取

  • ドイツの少年・少女たちと「ヒトラー・ユーゲント」

    ■■第1章:「ヒトラー・ユーゲント」の誕生 ●第一次世界大戦後、ドイツ国内では敗戦を潔しとしない右翼勢力と、更なる革命的政府の樹立を叫ぶ左翼勢力が対立していた。これらの勢力は将来のための若年層獲得にも余念がなく、その影響下に多くの「青少年組織」が乱立していた。 1920年に創設された「ナチ党」も、「青少年を掌握するものが未来を掌握する」ということを熟知していた。それゆえ、当初より党の宣伝は、青少年の獲得を目指して行われた。 1922年3月に「ナチ党青年部」が設立され、19歳のアドルフ・レンクが指導した。まさに「青年を指導するのは青年自身」であった。 「青少年を掌握するものが未来を掌握する」 ということを「ナチ党」は熟知していた ●しかし翌年、「ミュンヘン一揆」の失敗により党活動が禁止され、青年部の活動は中断する。その後、ヒトラーが恩赦で釈放され、1925年に「ナチ党」が再結成されると、同年

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