【読売新聞】 千葉市の中心市街地が標的とされた「七夕空襲」から、7日で79年を迎える。129機の米軍機による夜間空襲により、同市は甚大な被害を被り、1204人が死傷した。当時、国民学校2年で、七夕空襲に遭遇した千葉市若葉区の千葉通子
![七夕空襲の記憶 「平和大切さ伝えたい」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/182dfa6a1801c70ae1fe8d402d19cf95558711d7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.yomiuri.co.jp%2Fmedia%2F2024%2F07%2F20240706-OYTNI50095-1.jpg%3Ftype%3Dogp)
「ハローキティ」「シナモロール」「ぐでたま」など、世代と国境を超えて愛されるキャラクターを世に送り出してきたサンリオ(本社東京)。経営理念の「みんななかよく」の原点には、創業者で名誉会長の辻信太郎さん(95)が17歳で遭遇した空襲体験がある。「みんなが小さな物でも贈り物をすることで仲良くすれば、争いは起きない」。経営の一線からは退いたが、信念は不変だ。(小松田健一)
まもなく「終戦の日」を迎えますが、78年が経過した今も戦争は繰り返されています。戦争を描いたアニメ・機動戦士ガンダムの原作者と第一線にいる安全保障の専門家が考える“戦争と平和のかたち”とは? 【未公開映像】富野由悠季氏「サンプルは南北戦争」ガンダム制作秘話も 機動戦士ガンダムの原作者・総監督 富野由悠季氏(81)(以下、「富野氏」) 「政府とか軍のトップに届くことは人類史で一度もなかった。」 防衛研 防衛政策研究室長 高橋杉雄氏(50)(以下、「高橋氏」) 「戦争についてアニメから知ることが多かった。」 高橋氏「ちょっと深すぎて…。」 富野氏「カットしてくださいねここは。ゼレンスキーは“ニュータイプの芽”かも知れない。」 機動戦士ガンダムの“生みの親”富野由悠季監督。安全保障のスペシャリスト・高橋杉雄氏。2人が「戦争と平和」について、語り合いました。 高橋氏「私は1972年生まれですから戦
5月、ある訃報がもたらされた。NHKの子ども向け工作番組「できるかな」などで人気を博した高見のっぽさんだ。のっぽさんは子どもを「小さい人」「おチビさん」と呼び、「小さい人はとても賢い」と言っていた。のっぽさんへのインタビューを振り返ると、その理由の一つに、自身の戦争体験が横たわっていたのが見えてきた。【江畑佳明】 生前最後の取材で語ったこと のっぽさんは昨年9月10日、心不全により88歳で亡くなったが、公表は今年5月10日。本人の「半年は伏せてほしい」いう遺志があった。私たちは昨年7月21日、のっぽさんにインタビュー取材をしていた。亡くなる約50日前のことだ。後で聞いたところでは、これが最後の取材になったという(紙面掲載は2022年8月22日夕刊)。 取材の目的は「戦争の記憶」を聞きたかったから。終戦時に11歳だったが、その体験を語り出したのはつい最近のこと。2015年に出版された「私の『
またテレビに出ている――。ロシアによるウクライナ侵攻が始まって以来、ロシア軍事研究家の小泉悠さんをメディアで見ない日はない。わかりやすく冷静な語り口で、戦況や国際情勢の解説を続けてきた。ロシアへの留学経験があり、妻はロシア出身で子どももモスクワで生まれている。プライベートでも縁が深く、多くのロシア研究者と同じように「愛着のようなもの」もなくはなかった。そのロシアが侵攻を始めて1年、どんな思いで戦争を見つめてきたのだろうか。ロシアを見る目は変わったのか。本人に問いかけると、今回の侵攻を巡って2つの「ショック」があったという。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice) ――長年、ロシアの軍事を研究してきた小泉さんですが、今回の侵攻によってロシアに対する向き合い方に変化はありましたか。 小泉悠: ロシア研究者は多かれ少なかれ、ロシアという国に対して好意的な部分がある方が
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