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批評に関するnikoniko_nimao2のブックマーク (11)

  • 松本人志についてのノート|杉田俊介

    (約27500字) (注1)有料記事になる前に、投げ銭を頂いた方で、その後記事が読めなくなってしまった場合、ご連絡下さい。個別にテクストをお送りします。お手数をかけます。sssugita@hotmail.com (注2)この文章を大幅に加筆修正して、また北野武/ビートたけし論を加え、三の対談座談を行って、一冊のとして『人志とたけし』(晶文社)を刊行しました。よければ手に取ってみてください。 1 以前、渋谷のシネコンで実写版『ジョジョの奇妙な冒険』を観たあと、何だか晴れ晴れとしない気分のまま、居酒屋で映画プロデューサーのK氏と雑談をしていて、積年の小さな疑念がぱっと晴れた、と感じた瞬間があった。たしか北野武の映画について話し込んでいた流れだったが、かつてお笑い芸人を目指していたというK氏は、こんなことを言ったのだ。「松人志は天才ではありません、あの人はどこまでも普通の凡人なんですよ、杉

    松本人志についてのノート|杉田俊介
  • 「批評」を定義するという課題|obakeweb

    批評の定義について。「定義」というのは、やや問題含みなところがあるので、私は「特徴づけ」という表現の方をより好んでいるが、まぁやること同じだ。すなわち、批評という活動(ないしその産物)に特徴的で、その他の活動(ないしアイテム)から批評を区別する要素とはなんなのか、に答えるのだ。芸術に関連した言説はいろいろある(広告、美術史、芸術哲学、キャプションなど)が、そのうちどれがなぜ批評に該当するのか。単純化のために、これらの課題については以下ではとにかく「批評の定義」と言うことにしよう。(また、「批評」はすべて芸術批評を指す。) エントリーは、前半と後半で異なる目的を担っている。第1節、第2節までは短いが教育的意図において書かれたものであり、第3節、第4節は、より特定的な話題に対する私のステートメントである。勉強したい人は1〜2節を読めばよいし、そうでない人は3〜4節だけ読んでもよい。 1 分析

    「批評」を定義するという課題|obakeweb
  • 【座談会】日常のゆくえ──京アニ事件から『ぼっち・ざ・ろっく!』まで|舞風つむじ × noirse × てらまっと | 週末批評

    一口に日常系アニメといってもいろいろありますが、さしあたってここでは「美少女キャラクターの穏やかな日常を描いたアニメ」くらいのニュアンスで考えてもらえればいいかと思います。今回はそのなかでも『まんがタイムきらら』系列誌の連載漫画を原作とするアニメ作品と、京都アニメーションの手がけた作品を中心に議論していきたいと考えています。日はよろしくお願いします。 noirse & てらまっと よろしくお願いします。 室内空間の崩壊:『がっこうぐらし!』『NEW GAME !』 つむじ まずは「きらら系」作品について考えていきたいと思います。『日常系アニメのソフト・コア』のあとがきでは「室内空間」、つまり社会から隔離された教室や部室といった内部空間が徐々に解体され、そのなかで繰り広げられていた穏やかな「日常」も失われていった、という議論がなされていました。 日常系アニメの前提となる「ありふれた日々」を

    【座談会】日常のゆくえ──京アニ事件から『ぼっち・ざ・ろっく!』まで|舞風つむじ × noirse × てらまっと | 週末批評
  • 感想と批評は違う|米光一成

    そういえば、bfcのときに「いまは書き出しだけで判断してさきを読まない人もいるのだから、それが批評の実状、あなたはいまの実状がわかっていない」みたいなことを20歳くらいの方に言われて、返事しなかったのだけど、これってなかなか返事しづらいことで、それがその方の実感なんだよね。 — 西崎憲 (@ken_nishizaki) December 23, 2019 感想と批評は違う。 「感想」は、想って感じたことだから、「好き」とか「嫌い」とか自由に言えばいい。ひとそれぞれ、主観だ。 とはいえ、たとえば、会った人が、ちょっと嫌いだからと言って、「嫌い」と言うヤツは無礼だ。言わなくてもいいことだろう。 相手がしつこかったり、露骨にイヤな行動をとったりしたときに、「嫌い」だとか「やめてほしい」とか言うのはしょうがない。 そういうこともなく、いきなり「嫌い」と言うヤツは、まあ、心が狭くて口が軽い。 そんな

    感想と批評は違う|米光一成
  • TBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~

    ラジオ放送局「TBSラジオ」のサイト。TBSラジオの周波数は[AM954kHz/FM90.5MHz]。PCやスマートフォンではradiko(ラジコ)でもお聴きになれます。全国のラジオ34局ネットワークJRN(JapanRadioNetwork)のキーステーション。記事や番組内容、オンエア楽曲、最新イベント・グッズ情報などのコンテンツを毎日更新中!!

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  • 「変化を嫌い反対する人」を味方にする3つの視点

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    「変化を嫌い反対する人」を味方にする3つの視点
  • 速水健朗 なぜ批評は嫌われるのか 「一億総評論家」の先に生じた事態とは|文化|中央公論.jp

    おぐらりゅうじ氏とのPodcastオリジナル番組も好評の速水健朗氏が、批評や批評家は今なぜ忌避されやすいのかを論じます。多層的な要因から見えてくるものとは――。 (『中央公論』2022年4月号より抜粋) 口コミと批評家と権力欲 以下に紹介するのは、現代の"批評家"をめぐる寓話である。 アメリカの小さな町の話だ。この町のレストランには、自分がグルメ評論家であると店主に伝え、特別な席やサービスを要求する客たちが増えつつあった。 アメリカにも「べログ」のような、飲店の口コミサイトが存在する。彼ら(自称グルメ評論家たち)は、その口コミサイトのレビュアーたちである。 ネットで低い評価をつけられることを恐れる飲店側は、彼らの要求に応じざるをえない。自称グルメ評論家たちは次第に増長し、横暴になっていく。 耐えかねた一人の店主が、勇気を持ってレビュアーたちを追い出すことに成功した。すると、町中の飲

    速水健朗 なぜ批評は嫌われるのか 「一億総評論家」の先に生じた事態とは|文化|中央公論.jp
  • 「月曜日のたわわ」ロゴの表現力を解説した映画評論家さん、「言い掛かりだ!そんなこと考えるのはお前がスケベだからだ!この規制派のクソフェミめ!」と誹謗中傷を受ける

    伊藤弘了『教養としての映画』 @hitoh21 「わ」はそれ単独ではただのひらがなのひとつでしかないかもしれないが、二線の記号とともに提示されると別の意味を帯びるようになる。わざわざ丸みを強調した字体が採用されている意味も、それが何を表現しているかも多くの人にとって明らかだろう。 伊藤弘了『教養としての映画』 @hitoh21 「月曜日」の「月」の文字には天体の月(moon)の形象が入れ込まれているけれど、月はそれ自体でさまざまな文化的な意味合い(イメージ)を持っている。それが女性と結び付けられればまた新たな意味を持ちうる。そして、その意味合いについては解釈の余地がある。 pic.twitter.com/Mq79CHycKf

    「月曜日のたわわ」ロゴの表現力を解説した映画評論家さん、「言い掛かりだ!そんなこと考えるのはお前がスケベだからだ!この規制派のクソフェミめ!」と誹謗中傷を受ける
  • ツイッター映画ライターが豊崎由美氏と栗原裕一郎氏のtiktok批判に思う『推す批評』と『斬る批評』、かつて小沢健二を批判したあるロキノン女性ライター、そして広瀬すずはなぜ李相日監督を信じるのかという話|CDBと七紙草子

    詳細は上のリンクを読んでいただくとだいたいわかると思います。有名書評家である豊崎由美氏が、アマチュアTikTokアカウントを貶し、「そんなものでが売れたからどうした」「この人に書評書けるんですか」と言った。この件について誰もが思うことでしょうが、あまりに筋が悪い。書評書けるも何も、相手は一介のアマチュアです。出版産業の屋台骨が揺らいでいる時に無料で若い世代に小説をすすめ、しかも実際に若い世代に影響を与えて売り上げが上がるという結果を出している貴重な存在です。言うまでもなく炎上しました。引用RT1000超えというのは、めちゃくちゃに批判されていることの表れです。アルファアカウント、ベストセラー作家も次々と豊崎氏批判の側で声をあげ、賛否両論というより事実上ワンサイドの炎上になりました。 そんな中で、個人的には評論家である栗原裕一郎氏のツイートが心にとまりました。 原稿のネタにしようと虎視眈々

    ツイッター映画ライターが豊崎由美氏と栗原裕一郎氏のtiktok批判に思う『推す批評』と『斬る批評』、かつて小沢健二を批判したあるロキノン女性ライター、そして広瀬すずはなぜ李相日監督を信じるのかという話|CDBと七紙草子
  • 生きること、その不可避な売春性に対する抵抗──マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』 | inquire.jp

    「資主義リアリズム」とは要するに、生きることの不可避な売春性について、不可避であると信じさせられていることを指す。 そして『資主義リアリズム』というは、そうしたリアリズムの欺瞞を暴く/暴こうとする──抵抗のための書物である。 2017年に48歳の若さで自ら命を絶った著述家マーク・フィッシャーが発した「警告」とは。 6回目となるSF作家・樋口恭介による連載書評。 資主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい。 ──マーク・フィッシャー 世界の終わり、失われた未来の亡霊 K-Punk。横に並んだ6つの記号。一見すると無意味な文字列。 解を急げばKはKyberの頭文字、KyberはCyberの起源となったギリシャ語で、つまるところK-Punkとは「サイバー・パンク」を意味している。Kyber-PunkとしてのCyber-Punk。さしずめそれは「真のサイバー・パンク」、あるいは

    生きること、その不可避な売春性に対する抵抗──マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』 | inquire.jp
  • 今のネットでアニメ辛口批評なんてできたもんじゃない - シロクマの屑籠

    オタクが軟弱化して辛めの批評を書かなくなったから、最近のオタクコンテンツはひたすらヒロインが可愛いだけの薄っぺらい作品ばっかりになってるんだろうが。定型文と画像で褒め合うクソみたいな学級会文化をやめろ。辛口批評を書きまくって仲間のオタク気の喧嘩をしろ。90年代に戻れ。— 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 オタクというのは好きな作品の悪口を吐き続ける生き物だと思ってるので、昨今のひたすら褒め合うコミュニケーションで同調圧力を形成する流れが心底嫌いですわ。オタクは好きな作品に辛めの批評を書いて仲間のオタクを攻撃する生き物なんだよ。男オタク腐女子みたいなキモい学級会を開くんじゃねえ。— 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 メンヘラ.jpの小山さんが難しいことをツイートしていて、私も難しい顔になってしまった。 この手の「最近のオタ

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