1962年(昭和37年)5月3日21時37分ごろ、日本国有鉄道常磐線三河島駅構内で、下り常磐貨物線から常磐線下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り第287貨物列車(D51 364牽引、45両編成、換算98両[10])が停止現示(赤)の下り貨物線出発信号機(2RB)を冒進(安全が確保されていない区間へ列車が進入すること)し、安全側線に進入した。機関士が非常ブレーキを掛けたが止まり切れず、機関車が終端の砂利盛り(第一種車止め)に乗り上げた。先頭の機関車と付属の炭水車および次位のタンク車(タキ50044)が脱線し、機関車と炭水車が下り本線を支障する形で停止した。 その直後、三河島駅を約4分遅れで出発し、下り本線を進行してきた上野[注釈 2]発取手行き下り第2117H普通電車(6両編成)が、下り常磐貨物線と下り本線の合流地点付近、下り本線第二出発信号機(2RA)約50m手前を約60km