『知識人と社会』の著者・三宅芳夫氏のプロフィールを見て、氏が『批評空間』第Ⅱ期19号(1998年)に、「留保なき否定性――二つの京都学派批判」という論文を寄せていることに初めて気づいた。マイケル・ハートの「監獄の時間」も載っている号だが、どうやら私は三宅氏の論文を読んでいなかった。ざっと目を通すと、これは、竹内好と武田泰淳(二人は戦時期、ともに「中国文学研究会」のメンバーであった)が京都学派(高山岩男や高坂正顕)の「世界史の哲学」(「大東亜戦争」を正当化するイデオロギーであったとされる)に対してどういうスタンスを取り、いかに批判的な視座を獲得していったかを論じたもので、私が面白いと思ったのは、フランス第三共和制の下で「人間主義」「権利」「市民」といった普遍的概念に(人種差別的な帝国主義=植民地主義の)抑圧と隠蔽を見出したサルトルを論じている著者が、日本の文脈では、竹内好と武田泰淳という二人