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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/matsuiism (12)

  • 足尾銅山鉱毒事件をめぐって - heuristic ways

    先月末、内閣府の園田康博政務官が、「東京都内での記者会見の席上、東京電力福島第一原発にたまっている低濃度の放射能汚染水を浄化処理した水を飲んだ。低濃度だと証明するために飲んだらどうかとのフリーライターの求めに応じた」(「園田政務官、原発の浄化水飲む 「飲んだら」と言われ」朝日、2011/10/31)というニュースがあった。 実は約百年前にも、同じような光景があったらしい。もっとも、百年前にコップの水を突きつけられた某大臣は、どうやらその水を飲めなかったようである(浄化してない「毒水」だったので)。 「かつて鉱毒猖獗(しょうけつ)を極めたとき、正造は頑迷固陋(がんめいころう)、無毒を主張する某大臣に、『しからば毒水をのんでくれい』と、コップに持参した。大臣は顔色を変えた。見ただけですでに毒効があらわれたのである。また、鉱毒の砂を伊藤さんや大隈さんのきれいな庭で使ってもらおうと思ったが、聞き入

  • 城山三郎『辛酸――田中正造と足尾鉱毒事件』 - heuristic ways

    この小説は1961年(昭和36)、今からちょうど50年前に発表されている。常盤新平氏の「解説」によると、当時は田中正造の存在はほんの一部にしか知られておらず、「公害という用語さえ、なじみのあるものではなかった」(中央公論社版の作者あとがき)らしい。 辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 (角川文庫 緑 310-13)作者: 城山三郎出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング発売日: 1979/05メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 23回この商品を含むブログ (15件) を見る  武田晴人『高度成長』によると、「深刻化する環境破壊は、五〇年代後半にはすでに熊県水俣地方の「奇病」の発生や、大気汚染、水質汚染、地盤沈下などの問題として認識されていた。しかし、これらが企業活動に伴って発生している人為的な加害に基づくものであるとの認識は薄かった」という。政府がようやく「有機水銀説を認め、水俣病

  • デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』 - heuristic ways

    デヴィッド・グレーバー氏は、マルセル・モース、ピエール・クラストル、マーシャル・サーリンズの流れを汲む人類学者であり、同時にDAN(Direct Action Network)やグローバル・ジャスティス・ムーヴメント(Global Justice Movement)に参加するアナーキスト活動家である。 この(日語版)の冒頭には、「まだ見ぬ日の読者へ」と題された「自伝風序文」が寄せられているが、それを読んで、私は何かとても懐かしいと感じた。それはいわば「余はいかにしてアナーキストとなりし乎」を綴った内容のものだが、氏の生まれ育った環境や経歴は私とは似ても似つかない。だが、氏の基的な発想は私にはとても共感できるもので、どこか“原初的な光景”につながるものだった。たとえば氏は、「私の育ったアパートは常にで埋まっていた」という。古代史、サイエンス・フィクション、人類学…。当時は理解してい

  • 自己形成の謎 - heuristic ways

    10月10日夜、日テレビ系で特別企画のドラマ『私が私であるために』が放送された。中村 中さんが出るというので見たのだが、中村さんは「主演」ではなくて重要な脇役――ストリートミュージシャンで、やがてメジャーデビューすることになる――といった役どころだった。主役の“女子大生”ひかる役を演じていたのは相沢咲姫楽さん。姉のいぶき役に浅見れいなさん、母親役に竹下景子さん、父親役が橋爪功さんという豪華な配役。ドラマでは、ひかるの「前史」は断片的に語られる程度で、高校までは男子の学生服を着て、なんとか身体と精神の性の不一致を押し隠そうとしてきたが、大学に入って一人暮らしをするようになってからは女性の身なりをして女性として振舞ってきたという設定になっている。ただ、ひかるは親しい友人たちにも自分が「男」(学生証の性別はそうなっている)だということを話していない。ひかるは姉とは時々会っているが、家にはもう2

  • 公共的想像力・判断力 - heuristic ways

    先日、書店の店頭で平台に積まれているのを見かけ、そのタイトルに惹かれて手に取ってみると、「新図書隊員」とか「関東図書基地」といった見慣れぬ言葉が目に入ってきた。 関東圏の新図書隊員の練成教育を引き受ける関東図書基地は、今年三百名の新隊員を迎えた。図書館員として配属される者でも戦闘訓練は免れないので、五十名ずつ六班で編成された教育隊の全員が一律しごかれている。(p10) こういう妙な設定の話にはなぜか指が動く。なぜに図書館員が戦闘訓練? 面白そうじゃないですか。*1即購入して読み始めてみると、設定の妙も然ることながら、「月9連ドラ風」(作者「あとがき」)のキャラクターやストーリー展開もなかなかはちゃけていて、結構私好み。最近のドラマでいえば、『アテンション・プリーズ』とかそのあたり。ラブコメ+新人の成長物語といったところか。作者へのインタビューにストーリーの紹介が載っているので、以下引用。

  • 「労働の権利と義務」の前提条件 - heuristic ways

    共和国は、すべての市民に対して、労働の権利をみとめ、この権利を実効的ならしめる諸条件を推進する。 各市民は、自己の能力と選択とに応じ、社会の物質的または精神的進歩に寄与する活動または機能を遂行する義務を有する。(イタリア共和国憲法第4条) すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。(日国憲法第27条) sarutoraさんが、「傘がない」というエントリで、インリン・オブ・ジョイトイの「ニートは一度どん底を知るべき」という文章を取り上げ、これを雨宮処凛のフリーター・ニート観と対比して考察している(まずは是非そちらをご一読あれ)。私も少し思うところがあったので書き込みしてみたが、同じ問題をより一般的な「労働の権利と義務」の問題として扱うことができるのではないかと思い至ったので、ここで再考してみたいと思う。 インリンさんの「ニートは一度どん底を知るべき」という言葉は、ランボーが砂漠から書き送

  • メルヴィル『代書人バートルビー』 - heuristic ways

    杉田俊介氏が『ユリイカ2月号』に「ニート/バートルビー 生まれてこなかったことを夢見るイエス」というエッセイを寄せていることを知って、初めてメルヴィルにそんな作品があることを教えられ、図書館で調べたところ、国書刊行会からJ・L・ボルヘスの序文つきで『代書人バートルビー』(酒雅之訳、1988年刊)というが出ていることがわかった。*1短いので一気に読み終えたが、これがかなり私好みの作品で、体験的にもよくわかるし、文学史的にもいろんな類縁関係が思い浮かぶような小説だった。 体験的によくわかるというのは、たとえば仕事というのは、一連の指示や命令と、それに対する応答や反応から成る一種の「言語ゲーム」(ウィトゲンシュタイン)と考えることができるが、この言語ゲームの現場においては、不可解な応答や反応―あるいは無反応(ノー・リアクション)―が往々にして生じるからである。筆写以外の仕事(指示や命令)をな

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/03/19
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  • 他者・命令・所有権 - heuristic ways

    ■他者の中にある命令 アルフォンソ・リンギス氏は、『何も共有していない者たちの共同体』*1(原著1994年)の中で、われわれが「どのように他者と出会うのか」ということについて、実に興味深い見方を示している。 リンギス氏は、メルロ=ポンティやレヴィナスの英訳もしている哲学教授で、「世界のさまざまな土地で暮らしながら、鮮烈な情景描写と哲学的思索とが絡みあった著作を発表しつづけている」とのことで、氏においては、現象学的な他者認識と移住先や旅先で遭遇した他者体験とが相互に浸透しあって、異色の考察を形成している。そこでは、たんに旅の経験の分析に現象学が適用されるのではなく、むしろ現象学を生み出した西洋の合理的意志が世界のさまざまな場面でそれ自身の可能性と限界を試されているという印象を受ける。 リンギス氏は、「侵入者」というエッセイの冒頭で、カントの実践哲学を次のように(大胆且つ単純明快に)パラフレー

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/03/12
    『「ホームレスが隣人」であることに人々が苦痛や怒りを感じるとすれば、[…]同時に「私の意図が阻止され、異議が唱えられた」と感じて、これを拒否しようとするからではないだろうか。』
  • 貧乏いろいろ - heuristic ways

  • 自己差別と自己変化 - heuristic ways

    『知識人と社会』の著者・三宅芳夫氏のプロフィールを見て、氏が『批評空間』第Ⅱ期19号(1998年)に、「留保なき否定性――二つの京都学派批判」という論文を寄せていることに初めて気づいた。マイケル・ハートの「監獄の時間」も載っている号だが、どうやら私は三宅氏の論文を読んでいなかった。ざっと目を通すと、これは、竹内好と武田泰淳(二人は戦時期、ともに「中国文学研究会」のメンバーであった)が京都学派(高山岩男や高坂正顕)の「世界史の哲学」(「大東亜戦争」を正当化するイデオロギーであったとされる)に対してどういうスタンスを取り、いかに批判的な視座を獲得していったかを論じたもので、私が面白いと思ったのは、フランス第三共和制の下で「人間主義」「権利」「市民」といった普遍的概念に(人種差別的な帝国主義=植民地主義の)抑圧と隠蔽を見出したサルトルを論じている著者が、日の文脈では、竹内好と武田泰淳という二人

  • 隣人に光が差すとき - heuristic ways

    安藤裕子さんのプロフィールを読むと、彼女がTVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」に出演したとき、「このドラマの監督であった堤幸彦氏に詞曲の世界観を絶賛され、過去に制作していた"隣人に光がさすとき"という曲のデモ音源が、堤監督が撮りおろした2003年公開の映画「2LDK」(主演:小池栄子)のテーマソングに選ばれた」いうくだりがある。この曲は、1st フル・アルバム『Middle Tempo Magic』(2004年)に収められている。 やわすぎた私は 人混みの中埋もれ 光の差すあなたを見てた 輝けるあなたの 斜め後ろを辿り こぼれる光に手をのばす 立ちつくす私は 流れる人に押され 倒れるように膝をついた 誰独り埋もれた 私のこと気付かず 光の差すあなたを見てた 生田武志氏は、『<野宿者襲撃>論』の中で、「ホームレスが隣人」であることに耐え難い苦痛と怒りを感じる「地域住民」が日各地で「いま多

  • 公園と道路 - heuristic ways

    昨年末に越澤明氏の『満州国の首都計画』『哈爾浜(はるぴん)の都市計画』(ちくま学芸文庫)を買ったのだが、なかなか手をつけられないでいる。先日ようやく、『満州国の首都計画』の序章「新京と近代日都市計画」のところだけざっと目を通したのだが、意外だったというか、面白かったのは、いわば“近代日公園の起源”について書かれていたこと。たとえば、「都市計画に水と緑、うるおいを求める発想」(親水公園など)が近年重視されるようになったのは、戦後の経済成長の結果がもたらした経済的・心理的余裕の産物であるようにみえる。しかし、越澤氏は事態はむしろ逆であると指摘する。氏の見解では、「近代都市計画そのものの理念、制度、事業手法、技術は、日では一九三〇年代にほぼ確立していた」。このことを、かつての満州国の首都であった新京(現在の長春)の都市計画の実例をもって示すことがこのの目的であるらしい。 実際のところ、新

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