岩波文庫からレヴィナス『全体性と無限』(熊野純彦 訳、ISBN:4003369114)が出たので、熊野純彦『レヴィナス入門』と合田正人『レヴィナスを読む』を拾い読みをしていたら、リュス・イリガライが結構辛辣にレヴィナスを批判しているのだった。 しかし、これまでの考察は、「レヴィナスにとっては結局、男だけが主体であり自由である」というボーヴォワールの『第二の性』での指摘の正しさに加えて、フェミニズムの論客リュス・イリガライ(1954− )の次のような指摘の正しさをも証示しているように思われる。 「レヴィナスは愛撫に歓びを見いだすが、他者としての女性的なものについては、女性的なものが準-獣性の暗闇に沈みこむがままにしてそれを見捨て、男たちだけの内輪の社会での責任へと回帰する。彼にとっては女性的なものは、人間としての自由とアイデンティティをもつ者として尊敬されるべき他者ではない。(……)この点で
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