vol.4 思想を着こなせ! 踊らされるな、踊れ! :DiYとしてのTシャツ 東京藝術大学助教授。一九六三年生。専攻は社会学・文化研究。特に音楽や美術など現代文化と都市空間の編成や異文化理解をテーマに幅広く活動中。 主著に『文化=政治:グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社)、共著に『カルチュラル・スタディーズ入門』『実践カルチュラル・スタディーズ』(ちくま新書・ともに上野俊哉との共著)、翻訳にジェイムズ・クリフォード『ルーツ』など。編書に『日式韓流:『冬のソナタ』と日韓大衆文化の現在』(せりか書房)。NPO法人アート・インスチチュート北九州理事。 今回は、DiYとしてのTシャツについてお話ししたいと思います。 Tシャツは、夏を乗り切るには重要なファッションアイテムですが、単に身体を包み隠すモノではありません。そこに描かれた絵やメッセージは、それ自体着ている人の趣味や人
1学期の授業のテキストだった本。 フランツ・ファノン、エドワード・サイード、ガヤトリ・スピヴァクを取り上げた、ポストコロニアリズムの入門書。 言葉 ポストコロニアリズムは、文学(認識)と政治(実践)を切り結ぼうとする試み、ではないか。 詳しくは知らないが、テクスト論とかポストモダニズムは後者をほとんと取り入れないようなイメージがある。 というか、後者を入れようとすると批判されてしまう、というか。 つまり、ある立場から見れば、ポストコロニアリズムはあまりにも政治的すぎるのだろう。 だけどあくまでも文学理論の一つであって、政治ではない。 (政治的な文学なのか、文学的な政治なのか、はよくわからないけど、多分前者だと思いたい) よって、まずは言葉による認識を重視する。 人間は言葉を使わないと何事かを認識することはできない。 つまり言い換えれば、言葉によって何事かが「何事」として定位されるのである。
ロリコンファルさん、直前の文章へのトラックバックありがとうこざいます。でも僕の文章をまったくといっていいほど読解できていません。ときには良いコメントをいただけているのに残念なことです。僕が「融和」を推奨している? はあ? 困りましたね。 1)僕は北朝鮮と「融和」するのでなく徹底して「追い込め」と言っています(“ネオコン”にわざわざに賛意を表しています)。 2)北朝鮮を「追い込む」ために日本がやる程度の「経済制裁」は役に立たない、つまり「強硬措置」に見えて「融和」と選ぶところがない、ただの人気主義だと言っています。 3)北朝鮮を「追い込む」には、北朝鮮の退路である中国への影響力を行使して、退路を断たせる必要があり、そのためには日頃のリソース蓄積が重要だと言っています。 当たり前の部分を再説しました。もっといろんなことを言ってるんですが。ちゃんと読解できる読者の方々には馬鹿馬鹿しいのでこれでや
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