昨日3月21日、東京渋谷のNHKホールにて行われた放送大学の学位記授与式に行ってきました。 すごい人で、看板の前での記念撮影は断念(笑) 顔は内緒ですw 14年度に卒業される方は4915名、自分が所属していた社会と産業コースは715名です。 当日出席されていた方、1階席と2階席はかなり埋まっていたので2000名程度かなと思います。 式典では岡部洋一学長の式辞、放送大学卒に誇りを持ってほしいと。 あと政務官の代読でしたが、文科大臣と総務大臣の祝辞もありました。 謝辞言われた方、卒業研究されておられましたが、とてもとても自分にはマネできないなぁ・・・。 学歌は実はこの時初めて歌いましたが、なんとか(結局この週末で3回歌いました) 式典終わってから、受付で学位記を受け取りました。まさかの自分の手元にこれが来るとは。 一時は挫折しそうになったので感無量です。 式典が終わった後はニューオータニ東京で
2012年ももう残り僅かとなりました。1年を振り返るのもありなのですが、今年は同人活動を初めて2年経った伏し目なので、これまでの経緯などを書いてみます。長いです。 【小中学校】 TVゲームが好きなごく普通の鼻タレ少年でした。バーチャファイターに度肝を抜かされ、そのキャラの存在感にビビる。将来はゲーム作りたいと思ってたけど、バーチャを見てから「3DCGってどうやって作ってるのか知りたい…」って思うようになった。あまり進路を意識してなかったけど、「まずはパソコン出来る様にならんとゲームも作れないっしょ!」という短絡的な思想のもと、高専の情報工学科を目指す。 【15~20歳】 高専の情報工学科にそこそこ優秀な成績で入学。8時限授業、毎週の実験&レポート提出、クラスメイトがビシバシ留年して卒業時に2/3に減る程の厳しい学力主義の中で、プログラミングやハードウェアの知識を学ぶ。 その最中、趣味で3D
(編注:2020/08/18、いただいたフィードバックをもとに記事を修正いたしました。) これはある仕事熱心な若手開発者のほぼ実話です。2004年の後半、この若手開発者は小さな会社で働き始めました。条件は全て彼の望みどおりでした。給料はいいし、扱うのは彼の得意とするプログラミング言語、アプローチの複雑性、モデリングのアーキテキチャでした。 彼にとって今回の会社が初めての職場ではありませんでした。しかし、ここでの最初のプロジェクトは結果的に 問題だらけ に終わりました。当時、この若手開発者は、機能は絶対に変わらないものだと思っていました。しかし、それは間違いでした。機能が変更されるたびに完全なリファクタリングを行わなければなりませんし、バグを引き起こして膨大な時間を無駄にしてしまいます。彼は、テストを書くといった実直な方法も試してみましたが、書いたテストはメンテナンスが必要な上、書くのに時間
ルミネの件はそもそも動画を見ておらず、その是非に関する話題も(ついでに言うと批判されてるブログも)特に追いかけていなかったので何も書けないんですが、それに関連して気になるコメントを見つけたのでピックアップしてみます。 フェミニストを名乗る割に財政苦しい日本女性学会の会員になってるようでもそこに論文書いてるようでもない人たちを「ネトフェミ」と呼んでます http://togetter.com/li/688408 http://b.hatena.ne.jp/entry/245327714/comment/KoshianX 『ネトフェミ』という用語についてはその起源や用例について詳しくないので上の定義が正しいかどうかの判断はできません。フェミニズム批判の用語としてよく使われる『フェミナチ』の類型で『ネトウヨ』と似たような蔑称なんだろうな、ということが予想できるくらいです。 なので、ここで書かれて
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