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ブックマーク / www.k-hosaka.com (4)

  • 『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー

    『夜戦と永遠』佐々木中氏インタビュー 「図書新聞」2009年1月31日号 「永遠の夜戦」の地平とは何か 聞き手・白石嘉治 松潤一郎 重厚長大な『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という書物が出版された。不可思議で魅惑的な表題であり、内容・文体はそれ以上に 魅力的である。著者の佐々木中氏にインタビューした。聞き手は、白石嘉治氏と松潤一郎氏にお願いした。なお今回、以文社の前瀬宗祐氏に全面的にご協力い ただいた。記して感謝申し上げます。(収録日・12月10日、神田神保町にて。〔須藤巧・誌編集〕) 「現在」をめぐって 白石 このたび『夜戦と永遠――フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)という六〇〇頁を超える大著が出版されました。この書物を無視して、おそらく 現代思想を語ることはできない。ここから静かなる鳴動がはじまるのだろうと思います。今日は私と松潤一郎さんから、

  • kashimura..html

    汎資主義と<イマジナリー/近しさ>の不在 マルクスのレクチュールではなく、マルクス主義をまもるために 研究手帖 人肉レストランでの体験 特集=キルケゴール 性的不能 存在の犬 物象化論と弁証法*唯物論 クリティーク3号 1986年4月 総特集=荒川修作+マドリン・ギンズ 「アトリエの毛沢東」 その精神病的=分析哲学的表象システムと上下反 転運動の論理的解明 『革命の諸要素』 『四つの運動からなるわが方法』★一 嘘の力と力の嘘 ――大島弓子と、そのいくつかの政治学 昭和五十五年優秀論文 京都大学文学部哲学科卒業 アルチュセール派イデオロギー論の研究 ――後期アルチュセールの理論的活動への探索 ―― 彼岸の強者と此岸の死者 法と自然 0° 挑発座談会 "ポストモダン"を超えて <物(ブツ)>が全て、この陽気な目茶苦茶 「アインシュタインはなぜサイコロが嫌いだったか?」 特集=ジル・ドゥルーズ

  • nenkin.html

    最近、言葉の意味や物の定義の変化についてよく考える。それらが時代とともに変化することを一般則としては知っているけれど、自分がその変化に立ち会っていない言葉や物に対しては、注意していてもやっぱり理解が及ばない。たとえば明治・大正の頃に書かれた小説を読むとき、私は当時の町の風景や、男女の力関係や、大卒者が社会全体に占める比率とそのイメージなどを正しく理解せずに読んでいる。 そのことと直接結びつくわけでは全然ないのだが、私はいつか自分の学生時代のことを小説に書きたいと思っている(と言っても、早くても十年後だろうか)。タイトルだけはとっくの昔から決めてあって、『アグネス・ラムのいた頃』だ。アグネス・ラムというのは、七五年から七七年くらいに人気の絶頂期だった(それが私の大学生時代とほぼ重なる)、ハワイ出身の小麦色に日焼けして胸が大きいグラビア・モデルで、私と同世代の人間だったら生涯忘れることのない名

    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/16
    『過去をノスタルジックに語ることは、結局過去でなくて現在を語ることにしかならないのではないかと思う。』
  • ドゥルーズのどこが間違っているか? 強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点

    「特集=ジル・ドゥルーズ」 ドゥルーズのどこが間違っているか? 強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点 ドゥルーズの理論は、基的に一元論的、スピノザ主義的なものであり、起源そのものに差異を措定することで、(自己同一的な質‐起源とその写しからなる)プラトン的な伝統的二元論と対立している。この起源的‐源的な差異とは、いわば即自的な差異であり、その内部では、常に自己自身からの離脱と移動、自己廃棄と自己産出がくり返される。この即自的差異は、潜在的、ないし質量的なものだが、そこでの絶えざる移動と置き換えにより、実在的‐象徴的な、現実世界内部での諸差異が構成され、つまりこの起源的な差異とは、単に産出する基体である以上に、それ自体、産出されるものと重なり合う、一つの分節的な場でもある。このカオス=コスモスとしての、一元論的な自己産出的力能は、七〇年代には器官なき身体という概念系に収斂され、そ

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