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ブックマーク / kingfish.hatenablog.com (9)

  • 閉じこもるインターネット - 本と奇妙な煙

    自動プロパガンダ装置 アマゾンの逆トリック 旅行情報サイト・カヤックの収益の一つは航空会社からの紹介料だが 良質なコンテンツは必要ない 新たな仲介者 人気で記事を選択する 閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義 作者:イーライ・パリサー発売日: 2012/02/23メディア: 単行 自動プロパガンダ装置 パーソナライゼーションのフィルターは目に見えない自動プロパガンダ装置のようなものだ。これを放任すると、我々は自らの考えで自分を洗脳し、なじみのあるものばかりを欲しがるようになる。暗い未知の領域にひそむ危険のことなど忘れてしまう。 (略) あなたのデータがあなた自身のためにだけ使われるとは限らない。ミネソタ大学で最近おこなわれた研究で、女性は排卵期のほうが体にぴったりした服の広告に反応しがちだとの結果が得られ、オンライン広告の「タイミングを戦略的に設定」したほうがよ

    閉じこもるインターネット - 本と奇妙な煙
  • 2013-03-17

    「二つの世界のアイロニー」(1950年) 「文学者の文学的責任」(1951年) 「知識階級の敗退」(1949年) 「理想人間像について」(1947年) 「白く塗りたる墓」(1948年) 「民族の自覚について」(1949年) 「観念的な、あまりに観念的な」(1949年) 呉智英が吉隆明批判で「吉大衆神学」とかいい加減な事を書いているから福田恒存を読んでみた、第二弾。 福田は「大衆」についてどう書いているか。 (入力が大変なので旧漢字を新漢字に、ついでに旧かなも勝手に変換しちゃいました。他意はないので福田ファンの人は怒らないで下さい。) 福田恆存全集〈第2巻〉 作者: 福田恆存 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 1987/03 メディア: 単行 クリック: 1回 この商品を含むブログを見る 「二つの世界のアイロニー」(1950年) ただぽかんと口をあけて待っている大衆、あるいはイ

  • 呉智英の吉本隆明批判本がかなりヒドイ - 本と奇妙な煙

    今から呉智英の吉隆明批判がいかにヒドイかということを検証していくのだけど、呉智英をエライと思っている(いた?)人間としては、呉がアホだと証明していけばいくほど、こちらもアホだということになり、非常に気分が暗くなる作業なのである。 このの一番不愉快な部分は呉の都合のよい吉像に、さりげなくミスリードするやり方。 例えば「かつて吉は戦後思想家ベスト3の一人だと語り、自著読書ガイドで吉の「共同幻想論」を重要とした呉智英は、吉の死後すぐ彼についてのを出した」と書いて、事実誤認はない。しかしここには呉智英が吉信者であるかのような印象を与えようとする悪意が後ろにある、そう、正確には「客観主義的な言い方をしますと」というフレーズが「ベスト3に入る」という見解の前についている等々。こういうやり方はあまりフェアなものだとは思えない。ところが呉はそのようなちまちまとした印象操作をうすーくちりば

    呉智英の吉本隆明批判本がかなりヒドイ - 本と奇妙な煙
  • ウディ・アレンの映画術・その2 - 本と奇妙な煙

    前日のつづき。 ウディ・アレンの映画術 作者: エリックラックス,Eric Lax,井上一馬出版社/メーカー: 清流出版発売日: 2010/09メディア: 単行購入: 3人 クリック: 35回この商品を含むブログ (8件) を見る裏切り [リチャード・シッケルが]僕の映画の観客はある時点で僕から去っていったと書いていたんだけど、それは彼としては珍しく間違っていると僕は思うんだ。観客が去っていったんじゃなくて、僕が彼らから去ったんだよ。彼らにはとっても思いやりがあるから、もし僕が彼らとの契約を最後まで守っていたら、彼らは僕のもとを去る気配など微塵も見せずに、いつの間にか愛情に溢れた思いやりのある観客とは別のものになっていたことだろう。だから僕はみずから違う方向へ進み、その結果、当時の観客のかなりの部分が裏切られたように感じて気分を害したんだ。僕が『インテリア』とか『スターダスト・メモリー』

    ウディ・アレンの映画術・その2 - 本と奇妙な煙
  • ウディ・アレンの映画術 - 本と奇妙な煙

    父と祖父 サクセス 順撮り 僕のベストテン ラルフ・ローゼンブラムの編集 エルヴィス以降 フィリップ・グラス 時間がない人は過去30作を総括している第八章から読むと良いかも。 ウディ・アレンの映画術 作者:エリック ラックスメディア: 単行 父と祖父 [父が以前マフィア関連の仕事をしていた事はずっと知らなかった] 僕が生まれる前のことだからね。おふくろと結婚するときに問題になったんだよ。親父はノミ屋の仕事をしていて、毎年夏はサラトガの競馬場で賭けを受けて、勝った奴に金を払っていた。(略) 親父はかなり面白い人生を過ごしたと思うよ。十六歳で学校をやめて海軍に入り、ヨーロッパヘ行って世界を見た。ロシアにもいたし、ヨーロッパのあちこちへも行った。処刑の現場にもいたし、フロリダの沖合いで船に爆弾が落ちるか、船が爆発するかしたときは、フロリダまで泳ぐはめになって、泳ぎ着いたのは三人だけだったそうだ

    ウディ・アレンの映画術 - 本と奇妙な煙
  • 憲法力 大塚英志 - 本と奇妙な煙

    「大塚英志と憲法」で読む気をなくす人でも面白そうなトコだけ思い切り手抜きで。 なぜ柳田国男は親友・花袋の私小説を否定したか 文学ではなく言語技術として ツールでいい、美文は不要 戦前の日人論は多民族国家を前提にしている 憲法力―いかに政治のことばを取り戻すか (角川oneテーマ21) 作者:大塚 英志メディア: 新書 なぜ柳田国男は親友・花袋の私小説を否定したか 柳田国男と田山花袋は生涯親友であるとともに、お互い嫌味を言い合ってきたような文学的なライバルで(略)柳田は花袋の自然主義文学へのアンチテーゼとして彼の民俗学を作った側面があります。(略) 花袋が『蒲団』を書いた明治四十年代初頭の柳田は、実は花袋的な意昧での自然主義文学、つまり私小説の徹底した批判者だったのですが、そういう柳田国男の姿はほとんど知られていません。柳田が花袋の『蒲団』を嫌ったのは、たんに下半身的なものに対する柳田の潔

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  • 思想としての<共和国>&人権産業 - 本と奇妙な煙

    デモクラットとか、共和主義者か ドブレの考える共和制と民主制の相違 フランス革命二百年祭でも ドブレ怒りの鉄拳:人権野郎をぶっとばせ 人権屋が大嫌いという人は最後の方から読んでください。 思想としての“共和国”―日のデモクラシーのために 作者:ドゥブレ,レジス,信孝, 三浦,陽一, 樋口,章, 水林メディア: 単行 1989年イスラム・スカーフ事件の際に書かれたドブレのエッセー+日人学者論考&対談ですが、ドブレのとこだけを。 デモクラットとか、共和主義者か 共和主義的政府はどうかといえば、たとえ自覚していなくても、人間を、よき判断をくだし仲間とともに討議するために生まれた、質的に理性的な動物としてとらえているのだ。行為と言葉を一致させ、自分自身をしっかり所有することができる者が自由なのである。他方、デモクラシーという統治形態は、人間を工作し交換するために生まれた、質的に生産的な動

    思想としての<共和国>&人権産業 - 本と奇妙な煙
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/08/22
    タイトルはキャッチでポップだけど、もっと北朝鮮とか中国とか書かないとネット右翼のひとには受けないと思いました
  • 宮台真司の自己啓発グルーヴ - 本と奇妙な煙

    こんなはずじゃなかったと宮台。 宮台真司の嫌なカンジって、自己啓発セミナーのノリを社会に持ち込んで社会にダメ出し「人格否定」をぶちかましちゃうとこじゃないと、いい加減な感想を書こうとして、そういやオレ自己啓発セミナーなんてよく知らないやと思ったので検索してみたら、元関係者の語る「自己啓発セミナーの問題点と対処法」というのがあって、これがまんま宮台に当てはまるのでかなり笑える。 勧誘の際の世間との軋轢も「修行」だ 最も大きな問題点は、お金がかかるという事もそうですが、それを親兄弟、親戚、友人にまで勧めて回る(エンロールと言います)、という点にあると思います。 実際は、それで参加者が罵倒されたり回りの人とトラブルを起こしたりすればするほど、参加者自身のトレーニングになるようになっている(!)のです が、普通に社会生活を送っている回りの人々にとって、参加者のトレーニングの為にトラブルに巻き込まれ

    宮台真司の自己啓発グルーヴ - 本と奇妙な煙
  • 文芸時評という感想 荒川洋治 - 本と奇妙な煙

    知的はだか祭り文芸評論家 松浦寿輝の「須賀敦子」論 町田康、阿部和重 笙野頼子 小島信夫 平野啓一郎「日蝕」評 赤坂真理「ヴァイブレータ」 文芸時評という感想 作者:荒川 洋治メディア: 単行 サラサラ微温世代には説教オヤジ臭いのかもしれない。天敵?の保坂和志が言うように判断基準が古いのかもしれないが、自分がリコウなところを披露したくてたまらない渡部ナントカといった類の評論家より、自分の基準に従って率直に書いてる荒川洋治の方がずっとマシじゃない。 知的はだか祭り文芸評論家 先の二人の文章も、ほめるなんてことをしては男のこけんにかかわるという、なんだか男のはだか祭りみたいなものにならざるをえない。だから「ほめる」ときにはことばはやせほそり文章はがたがた、魅力がない。そういうものをみると男になれるなれないは別としても男になることをいそぐ必要はないような気がしてくる。 松浦寿輝の「須賀敦子」論

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