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ブックマーク / kuriyamakouji.hatenadiary.org (6)

  • 労働にとって「女性」とは何か(1) - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    フリーターズフリー〈Vol.01〉よわいのはどっちだ。 作者: フリーターズフリー出版社/メーカー: フリーターズフリー発売日: 2007/06/01メディア: 単行購入: 3人 クリック: 36回この商品を含むブログ (31件) を見るフリーターズフリー vol.2 (2) 作者: 有限責任事業組合フリーターズフリー出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2008/12/03メディア: 単行購入: 9人 クリック: 51回この商品を含むブログ (27件) を見る昨夜、ジュンク堂大阪店の三階喫茶室で『フリーターズフリー vol.02』の出版記念も兼ねて『労働にとって「女性」とは何かー家族・性・労働をめぐって』というテーマでトークセッションがありました。大阪天満橋にある「エル・ライブラリーに時たまお邪魔することもあるので、かようなテーマに関心を持ったのでしょうか。 最初に生田武志さんがか

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  • 「形と心」の問題 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    時代の病を心の問題に還元しようとする大きな流れがこの国にあるのは間違いない、もはやことがおきては遅すぎる、ミサイルが飛んで落ちてから動き出して、そんでいいのかというフォービア(恐怖)があるのはよくわかる。 町内会の会合でも、あそこは交通量が頻繁なので何とか信号をつけるとか、具体的な方策をせんと、あかん!と提案が出ても、交通課の動きは鈍い、そんな時、必ず、会で「事故が起きて誰かが犠牲になればいいんだ」って、シリアスな発言がでます。 法律の大きな骨は「行為を罰することであって心には無関心」である。そのことに何ら疑念がなかったけれど、今ではそれが揺らいでいるわけでしょう。工学的にも、それが核などの大量破壊兵器なら、被害が甚大で、死は数量の問題ではないと言っても、ひょっとして想定されうる犠牲者の中に自分がカウントされるかも知れないと言う切迫感が違うのでしょうね、継続審議となった『共謀法』もそんな僕

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  • 男でも女でもまず「依存しない思考」を構築する/社員募集 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    前日に投稿したbk1の『バックラッシュ!』のレビューに贅肉をつけて、ちょいと“よしなしごと”を書いてみます。深夜のシマネコの赤木智弘さんから「『バックラッシュ!』を非難する」への反響について がアップされましたが、彼の石投げ行為はとても勇気ある行動だったと思う。実際のところ、僕の考え方(バブル以前の60歳以上のオトコ)とあまりにも立ち位置がちがっているから、異論を書きたいのですがそれ以上に赤木さんはとても赤裸々に音を語ろうとしている。まずそのことに敬意を表したいと思いました。 赤木さんの「生きやすさ」のトランプ的非対称構造の図式によれば、僕は文句なく弱者男性だけど、ネタとして「弱者男性」って広言することはあっても、人の意識の中にベタとして「ワシは弱者男性なんだ」という覚悟がない。むしろ、会社人間、組織人、とにかく家族をはじめ色々なものを背負い込んでいる人を「生きづらいだろうなぁ」と同情

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  • 大文字の他者 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    イデオロギーの崇高な対象 作者: スラヴォイジジェク,Slavoj Zizek,鈴木晶出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2001/01メディア: 単行購入: 3人 クリック: 49回この商品を含むブログ (66件) を見る スラヴォィ・ジジェクが良く取り上げる小話があります。今読んでいる平凡社新書の木原善彦著『UFOとポストモダン』から孫引用します。 その馬鹿は自分のことをトウモロコシの粒だと思い込んでいた。しばらく精神病院に入院して治療を受け、何とか治療した。つまり自分がトウモロコシではなく人間だということがわかったのだ。それで医者たちは彼を退院させたが、しばらくして彼は走って帰ってきて、こう言った。「ニワトリに会ったんです。べられちゃんじゃあないかと思ったら怖くて……」。医者はたちは彼を落ち着かせようとしてこう言った。「いったい何を怖がっているんだい。自分がトウモロコシでは

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  • 2006-01-26

    藤原新也の朝日新聞1/23付採録の『愛国心と愛民心』の記事が田由紀さんところで紹介されてすごく気になっていたのですが、Shinya talkの1/25にネットアップされました。久し振りに新也節を拝聴するとやはり心地良さがある。行間までびびっと伝わってくるものがあります。生の藤原さんは硬派の文体と違って温厚で暖かそうな人の話をじっくりと聴いてくれそうな懐の深い人という印象でしたが、文章は相変わらず熱い。 僕のオヤジは平成七年に亡くなったが、旗日は必ず陋屋の玄関先に日の丸を掲げていた。町内に日の丸を掲げる家はめっきり減っていたので、目だって仕方がないと、恥ずかしいとお袋はこぼしていた。Shinya talkの冒頭でタクシーの運ちゃんが「最近はこうして街を走っていても門松をみかけませんなぁ。日の丸もない。日の伝統を守る気持も愛国心も地に落ちたもんですよ」と言ったと書いているが運ちゃんの批評は

    2006-01-26
  • ロリコン社会/大人社会 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    下で野村一夫著『未熟者の天下ー大人はどこへ消えた?』について書きましたが、昨日の朝日新聞の夕刊で森岡正博氏は『相次ぐ少女殺害事件』についてのコメントを寄せている。要はこの国は『ロリコン社会』で幼い心の商品化をなぜ許すか?そこに犯罪の根源を見るのです。『未熟者の天下』と『ロリコン社会』は少子化が一段と促進された社会ともつながって共通の症例が横たわっているのではないかと、僕なりにも容易に想像出来る。 屋での店頭雑感では、『ロリコン雑誌』は何十年前からあったし、一部のマニアックな人たちを対象に棚差しされていた。『薔薇族』と同じような売れ方だったのです。細々と息長く…売れました。それが1970年頃変わった気がしますね。ビニ、ビデオと少女達が主要な商品として消費されたが、それでもある種の後ろめたさがあって一般市民権を得たわけでない。寺山修司の少女もアングラでした。 1980年代に入ると少女、幼女

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