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ブックマーク / sivad.hatenablog.com (7)

  • フラット化は局所ルールを破壊する - 赤の女王とお茶を 

    「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。 問題だけどたいして問題じゃないこと、悪いことだけどたいして悪くないこと、が、世の中にはたくさんある。そしてそれらは、コッソリ行なわれなければならない。 もちろん、いくら「コッソリ」見つからないからといって、何でもやっていいということにはなりません。グレーの領域には、グレーの領域なりの「ルール」があるわけです。「仁義」だとか「面子」だとか呼ばれることもある例のやつですよ。 別にグレーの領域に限りません。世の中一つのルールで全部治められるほど単純じゃない。それなら大工の息子とか家出した王子とかがとっくに世界を統一していることでしょう。 ただ人間がスゴイのは、そういう世界の多様性をうまく利用して価値に変えてきたこと。 民主主義、市場、科学。 これらは人間や世界が多様であることを前提とした

    フラット化は局所ルールを破壊する - 赤の女王とお茶を 
    nisemono_san
    nisemono_san 2007/12/06
    これは来たるべき倒錯社宣言の視野
  • 赤の女王とお茶を - 感情の暴走は相手の感情を想像することから始まる

    俺の何が正しくて、何が至らないのか、教えてください。 大変でしたね。コメントしましたが、私の周りにも何人か同じような事態に悩む方がいて、相談に乗ったことがあります。 今回のトラブルは基的にはこちら無能なプロマネに振り回されることはねえって。でおっしゃっているように、立ち向かえば勝てるケースだと思います。こうやって環境自体を変えていくことこそが最も「正しい」対応だと思いますが、事情によってはなかなか戦えないこともあります。 そんな時は、「とりあえず」自分の心を防衛する必要があります。 最近流行の罵倒問題とか、あるいは先日からmojimojiさんとお話していた「想像力」「切断」の件とも絡むんですが、大体において感情の暴走、「カッ」とする、激昂するという現象は「相手の感情に触れる」ことから起こります。 罵倒や皮肉の文言自体ももちろんムカつくんですが、それそのものより、その背後の相手の嘲りや見下

    赤の女王とお茶を - 感情の暴走は相手の感情を想像することから始まる
  • 沈黙する日本のドラッカリアン - 赤の女王とお茶を

    不思議に思うのは、教育法の改正などの大きな社会・政治的変化に関して、ビジネス界やブログ界隈にゴロゴロいるはずの日のドラッカリアン(ドラッカーの言説に共感する者)達の意見が聞こえてこないことですね。 「知識社会」を論じたドラッカーは、当然のごとく教育の重要性を強調しています。 知識社会が求める従来とは異なる教育ある者  『ポスト資主義社会』より 「知識社会は、人文主義者が求める理想像とは異なる教育ある者を必要とする。人文主義者は、偉大な伝統すなわち人類の知恵、美、知識を否定することの愚かさを説くうえでは正しい。だが、過去の継承では十分でない。現実を動かさなければならない」 「知識社会が必要とする教育ある者とは、最先端の専門知識とともにマネジメント能力を持ち、かつ宗教、哲学、芸術を理解する者である。考えるとともに見る者、頭とともに体を使う者、体系化するとともに創造する者である。」 そし

    沈黙する日本のドラッカリアン - 赤の女王とお茶を
  • イジメという統治システム

    イジメのインセンティブ いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろう 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる いじめのインセンティブ? そんなのは簡単ですよ。 p_shirokuma氏のエントリにもありますが、根源的には「優越感」。 優越感(あるいは劣等感)はしばしば社会や人生を動かします。時に経済合理性をも上回る、社会的生物である人間にとってバカにできない力です*1。 ただもう少し言えば、日の場合 「多数派の優越感」を得られるから という面が強いでしょう。 これは必ずしもボス集団に入っている必要はなく、「いじめられる少数の中にいなければ」得られるものです。つまり、手を下さない傍観者にもインセンティブがある。 優越感とは、自分が相対的に「強い」という感覚。 烈海王いわく「強さとは我儘を押し通す力」な

    イジメという統治システム
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/11/18
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  • レイプ・痴漢の非対称性:赤の女王とお茶を:2006-05-07

    復帰。 やはりK市の魚は旨いですね。あと「Vフォー・ヴェンデッタ」いいねぇ。。「リベリオン」も観たくなった。 特攻隊で笑わせろ そもそも大日帝国海軍が特攻隊員に行ったのは、奇術でいうところの「フォース」、つまり「相手にこちらの思うとおりのカードを引かせる心理的トリック」であって、実のところ隊員たちに選択肢など存在していなかったともいえる。若者が強制的にババをひかされる姿がそんなに美しいかと。 まあ個人的には、過程はどうあれ、人のために自己犠牲を遂行する若者の姿に一種の美しさを感じるにやぶさかではありません(この場合は相手を殺すため、というのが引っかかりますが)。 ただ、「自己犠牲を行う若者」をコインの表とするならば、その裏には「自己犠牲を行わせる老人」が存在しています。 「(若者に)自己犠牲を行わせる老人」*1 *2。 こちらはどう見ても美しいとは思えません。というか醜い。 「特攻隊」の

    レイプ・痴漢の非対称性:赤の女王とお茶を:2006-05-07
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/09/25
    うーん、もやもや
  • というわけでこれにてドロン。

    てなわけで、明日から休止に入ります。 皆様最後まで読んでくださって当にありがとうございました。 記念にはてなでブック化しとこうかと思ってますが、もし万が一「読んでみたい」という方がおられましたら、メールをお願い致します。 比較的よく読んで頂いているエントリは左のリンク集にまとめてありますので、お時間があれば是非ご一読ください。 未練がましく2,3書いて終わろうと思います。 で、研究者といえども「パフォーマンス」つまり「プレゼンテーション能力」が大事、最近の(先生の周囲の)若者はその点頼りない、というお話。 プレゼン能力が大切なのはその通りですが、日の研究業界を憂うなら、何故先生の周囲の若者が頼りないのか、を考えるべきですね。恐らく全体的には、最近の若い人のプレゼン能力は上昇傾向にあるでしょう。研究業界でそれが低下しているのなら、それはつまりそういう人材が入ってきていないことを意味します

    というわけでこれにてドロン。
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/07/14
    うい、おつかれ
  • 陰謀論は存在しない? - 赤の女王とお茶を

    論とは全然関係ないんですが、ちょっと面白いので。 http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/01/livedoor_b686.html 陰謀はだまそうとしてる相手が気が付いたら、意味ないんだから。 ということは、ある「陰謀論」が出た時点でその「陰謀」は既に「陰謀」ではないということになりますよね。ただの論説です。 つまりこの世には決して「陰謀論」というものは流布できないということになります。 よかったよかった(?)。どっとはらい。 P.S. あ、せっかくなんで陰謀論メニューに一つ料理を追加しときましょうか。 陰謀論を流布させること自体が陰謀 おっとしまった、これでまた陰謀が一つ消えてしまいました。 国がグングン平和になる!

    陰謀論は存在しない? - 赤の女王とお茶を
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