昼過ぎから梅田のおうちカフェで、場所・運動・プレカリティといったテーマで研究会のお誘いをうけたので、ちょっと遅れて参加した。プレカリティとは「不安定な」という意味らしく、プレカリアートというのはそういう不安定な非正規労働にしか就けない労働者や階層のことをさす造語らしい。 アナキズムは社会制度としては成り立たないが、消えていくものとして意味がある。運動に方向性はあるが目的はない。理想は運動そのもののなかにある。いまは消費の空間かまったくのプライベートの空間しか存在しないのではないか。というような話が印象にのこった。 研究会後の飲み会は断り高槻のカフェへ。NPOスタッフたちと歓談しつつ失恋話などを聞いてもらう。「失って初めてその(彼女の)存在の大きさに気がついた」というありきたりのことを言ったのだが、ありきたりであるからこそ、そのなかにいくぶんかの真実がふくまれているのではないかと思った。 失