<岩垂 弘(いわだれひろし):ジャーナリスト> 「まるで平和運動の一時代の終了を告げるかのような訃報だ」。私がその訃報に接した時、とっさに脳裏に浮かんできた感慨はそのようなものだった。日本山妙法寺の僧侶で平和運動家だった佐藤行通(さとう・ぎょうつう)さん。3月1日に肺炎により死去、99歳だった。その一生は、ひたすら原水爆禁止運動の発展にささげられたものだったと言ってよく、とりわけ日本の運動を欧米の平和運動や国連と結びつける上で佐藤さんが果たした大きな役割は長く記憶されてしかるべきだろう。 とにかく、波瀾万丈の生涯だった。 1918年(大正7年)、秋田県阿仁合町(現北秋田市)に生まれた。教師だった父が兵庫県西宮市の小学校に職を得たため西宮へ。そこで小学校を終え、1931年、大阪府立北野中学(現北野高校)へ進む。自由主義的な校風で軍人志望は少なかったが、親戚に軍人がいて、「ソ連の膨張に備え、日