2015年5月24日のブックマーク (1件)

  • 4歳の子供とふたりで福島中通りから新発田市に自主避難してきているお母さんの話

    太陽のイビキ ‏@taiyonoibiki 氏の2013/10/16の連続ツイートから全文転載 「ある自主避難者の証言」 ~4歳の子供とふたりで、今年1月に福島中通りから新発田市に自主避難してきているお母さんのお話です。 2013年10月5日(土)pm7時から~ 新発田市きやり館あやめの間 私は、今年(2013年)1月、福島県中通りO村から4歳の子供と二人、新発田市に自主避難してきました。O村には、祖母、父、母、兄を残してきました。 私のふるさと、福島県安達太良郡O村は、福島第一原発のほぼ真西約40キロのところに位置しています。盾のように連なる安達太良連峰西側の緩やかな扇状地の上に拓かれた村でした。扇状地に湧く豊かな水ときれいな空気と東南方向から降り注ぐ日光を利用して、米、野菜を始めとする農業が栄え、農村としては珍しく、わずかずつですが、人口も増えていました。 他のところはみんな合併してし

    4歳の子供とふたりで福島中通りから新発田市に自主避難してきているお母さんの話
    njamota
    njamota 2015/05/24
    「私は、このとき、初めて「ああ、放射能のことを心配してもいいんだ」と思って、そうしたら、知らないまに涙が出てきました」不安が共有されない時の、社会との関係。どこをゴールに設定すれば良いか。