いわゆる「被害者ポジションの奪い合い」がなぜ生まれるか、過剰なまでの加害者バッシングの心理、そこから抜け出すには、などの話です。 被害者は善人じゃないし、その必要もない 痛ましい事件や事故が起こった時、被害者になった方々の人生をやけに美化する報道がなされることがあります。親思いのいい子だった、夢に向かって真面目に頑張る勤労青年だった、休日に家族サービスをする優しいお父さんだった、などなど。 こうした報道の執拗さは一般的にプライバシーの侵害として非難されることが多いんですが、もう一つ大きな問題があります。それは、被害者を被害にあったというそれだけの理由で「善」と規定していること。 「被害者を聖人君子のように報じるけど、仮に彼らが悪人だったら?」 「そんな奴なら被害にあっても仕方ない、と言われるのか?」 みたいな疑問が湧いてきます。 被害者を規定するのは「被害にあった」という要因それのみであっ