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ネタに関するnkgt_chkonkのブックマーク (2)

  • やったー意識を高めるワンライナーできたよー - 猫型の蓄音機は 1 分間に 45 回にゃあと鳴く

    $ ruby -r curses -e 'include Curses;cbreak;stdscr.maxy.downto(1){|y|clear;setpos(y-1,0);addstr("意識");refresh;sleep(0.1)}' 実行すると意識が高まる仕組みです

    やったー意識を高めるワンライナーできたよー - 猫型の蓄音機は 1 分間に 45 回にゃあと鳴く
  • 本当に○○な人だったら…… | 科学と生活のイーハトーヴ

    当にやる気がある人なら、このくらいがまんできるはずだ。 当に賢い人なら、このように行動するはずだ。 といったような、要するに「当に○○だったら、△△できるはずだ(××しないはずだ)」という言い回しをしばしば耳にすることがあるけれど、これがかねがね大キライだった。 「△△できないかぎり、当の○○じゃないんだよ」 という狭量さ、押しつけがましさを感じるからだ。 この言い回しがキライすぎるので、いろいろと悪口を考えてみたのだけれど、そもそも「当にやる気がある」とか「当に賢い」ってどういうことなんだろう。 その状態こそが「当」であると誰が決めたのかといえば、それは主張している当の人にすぎない。 確実にいえるのは、 「このくらいがまんできる人が、当にやる気がある人だ(と私は思う)」 「このように行動する人が、当に賢い人だ(と私は思う)」 程度のことではないのか

    nkgt_chkonk
    nkgt_chkonk 2012/01/27
    本当に論理的な人間ならば「本当に○○ならば△△なはずだ」という叙述になんの根拠も見いだせないことを理解できるハズだ/というネタはともかく、この手の「私が思う真実は客観的事実」メソッド私も苦手です
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