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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (9)

  • サイコパス矢島の結婚 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それ以来はじめて知人が結婚した。元部下の矢島である。 ほんとはかちょーにスピーチしてもらいたいんですけど、と矢島は言う。この状況で身内以外式に呼べないんで。呼べたってスピーチはいやだよとわたしは言う。今の上司にしてもらいなさい、そういうのは。 矢島はわたしをずっと「かちょー」と呼ぶ。わたしの肩書はすでに課長ではない。「あだ名です」と矢島は言う。 そう言う矢島自身のあだ名は「サイコパス矢島」である。現在はカスタマーサポートの部署の管理職で、わたしがその部署の責任者に着任したときは若きエースパイロットといった立ち位置だった。通常のフローでは対応が難しいクレームを驚くべき速度でおさめる、いわば窓口最終兵器である。ならば部署の社員たちにさぞ慕われているのだろうと思ったら、あだ名がひどい。どうしてでしょうと訊いてみると、その社員は

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    nkoz 2022/03/02
  • だからきみはずっと二番手 - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。僕はちょうど子どもの病気がわかって手がかかるようになったところで、疫病をいいことに彼女と会うことをやめた。ちょっと飽きがきてたし。 自分がダメなやつだという自覚はあるんだけど、僕はほとんどいつでも二番手の彼女を必要とする。今なら結婚してるから不倫相手ってことになるかな。でも人の倫に悖る!みたいな大仰な感じじゃないんだよな。ちょっとした気晴らしっていうか、バランス取りたいなーって感じ。 人間と真剣に向き合うのは疲れることだ。ちゃんと見てなきゃ相手のことはわからないし、そうなると色恋の甘ったるい良さが感じられなくなっちゃったりもするし、より親しくなれば相手だけじゃなくてその周辺のことも考えなきゃいけない。結婚すれば家同士の関係までマネジメントすることになる。とにかく疲れる。でも僕はと息子に対してはそうしたいと思っている。疲

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    nkoz 2021/10/12
  • 俺に口を利くなというのか - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのときわたしは一人暮らしだった。こんな世の中だから、とわたしの交際相手は言った。不安だよね。一緒に暮らそう。結婚しよう。 そうしてわたしたちはたがいの両親に会い、いささか古いと思いながらも「婚約」というプロセスもやることにした。区役所に婚姻届を出す前に結婚式の準備をしながら同居して生活を整える期間をもうけたのだ。 結果として、これは正解だった。さっさと籍を入れていたらより面倒なことになったはずだからだ。婚約してよかった。そう、わたしは婚約から半年後、それを破棄したのである。 最初に疑問を感じたのは彼の「いいよ」ということばだった。 結婚すると決めて以降、この小さなことばの使い方が、ほんの少し変わったように感じたのだ。それまでは「コンビニ寄っていい?」「いいよ」といった使い方だった。これはぜんぜんおかしくない。友だちにも

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    nkoz 2021/05/20
  • 子育てを終える - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。 産んでもいない子を育て上げたような気がしていた。彼らがもうずいぶんと大きくなったので、もういいやと思った。疫病が流行した、この春のことである。 もちろんそれはわたしの子ではなく、わたしはいまだ二十代で、子どもたちは十七と十五の女の子と男の子で、わたしの弟妹である。 わたしの母は十代でわたしを産んだ。十代の母としてはずいぶんと立派だったと思う。彼女はわたしを背負ったまま手に職をつけ、同じく手に職をつけていた若い夫であるわたしの父とともに、せいいっぱい働いた。 彼らはわたしが十三の時に、乳幼児だった弟妹を残して死んだ。ばかだなとわたしは思った。夫婦そろってさんざっぱら働いてようよう手に入れた店で火事を出して、それで死んだ。火が出たらとっとと逃げたらいいのに、店を守ろうとしたのだと聞いた。わたしは警察に呼ばれて両親を確認した

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    nkoz 2020/04/25
  • JR両国駅前24時30分の和平 - 傘をひらいて、空を

    わたしはあたたかいラーメンを待っていた。両国には商業施設もあるが、お隣の錦糸町よりは繁華でない。終電近くの時間帯に駅前のラーメン屋に入るのはだいたい帰途にある住民である。そんなだから、見知らぬ者同士ながら、店の中には何となく連帯感が漂っている。わたしの隣の席の白髪の男性はラーメンに半チャーハンをつけてむっしゃむっしゃべている。斜め向かいの青年はビールだけを飲んでいる。ほどなくわたしのラーメンが来た。わたしの丼を置いた女性店員はそのまま別の客の会計に行った。 おい、どうしてくれんだよ。 会計をしていたスーツ姿の男性が怒鳴った。おまえこれどうすんだよ、ぼったくりじゃねえかよ、え? ああ? おまえどう責任とんだよ、え? 俺の日語わかってんの? おまえみたいなのに日のカネさわる資格なんかねーんだよ、てめえ、店員呼んでこい、店員、てめえじゃ話になんねーの、ちゃんとした人間の店員呼べよ、ワカリマ

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    nkoz 2019/10/24
  • 手札を並べよ - 傘をひらいて、空を

    なあ、焼豚。その場に集まっていた友人のひとりが言った。学生が「起業するから大学を辞めます、起業の内容はこれから考えます」って言ったら、どう回答する?つまり、教授として。教授じゃない、と焼豚は応えた。准教授。 焼豚というのはもちろんあだ名だ。この場にいるのはみな中学校の友人で、全員がそのころから彼を焼豚と呼んでいる。やきぶたともチャーシューとも読む。彼は質問した友人を見て、きみの息子じゃないよな、まだ小学生だもんな、じゃあ親戚かなんかの子か、と確認し、それから、平坦な声で宣言した。 そういう若者には、外野がとやかく言ったって意味はない。親戚でも親でも教師でもだめ。親はまあ、かじられるスネを提供している場合には経済力でもって若者の行動に影響できるかもしれないけど、内心を変えさせることはできない。十八を過ぎてそんな状態だったら、人が自分で気づくのを待つしかないんだ。僕はそう思う。 冷たい、と別

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    nkoz 2016/09/22
  • 減点式採点の段階的な廃止 - 傘をひらいて、空を

    同期のアシスタントについた派遣社員がとてつもないということで、愚痴を聞くために集まった。彼女ははため息をつき、あ−、だりー、とことのほか粗雑なものの言いかたをした。あのさあ、持ち上げるのと小馬鹿にするのを両方やるのって、当人の精神が不安定だからだと思うんだよね。あの人、やけに卑屈にしてみせるかと思うと、お酒の席で下卑た冗談言ったり「おっとヒラサカさんはお茶なんか汲みませんよね、俺が淹れて差し上げるんですかね?」とか言ってくるわけ。なんで私があいつの情緒不安定の相手をしなくちゃいけないわけ。あんたが年下の女のアシスタントになりたくないのはよくわかったけど、なんで私が、それに反応を示すと思えるの、って、訊きたい。 今まで示してもらえたんでしょうと私はこたえる。あるいは示してもらえるべきだと思っている。その人は現代人としてあらまほしき精神的素養の一部が欠落しているので、介助が必要なんだね、つまり

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    nkoz 2012/09/19
  • 作文が終わらない - 傘をひらいて、空を

    七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よくしゃべるんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。 学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴と言うと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。 八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませてべる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、

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    nkoz 2012/04/14
  • 一、連れて帰る  二、せせら笑う - 傘をひらいて、空を

    三年くらい集まってないよねえ。私が訊くと彼は、誰かの結婚式に便乗するチャンスがなかったんだよ、と言った。私たちは大学のときの講座が同じで、二十代まではおおよそ二年に一度の割合で顔を合わせる機会があった。 機会があった、というのは私のように受動的な人間の物言いで、たいていは電話の相手の彼が声をかけて集めてくれていた。私は同期生の名前を出し、こないだ一緒に旅行に行ってね、と言った。相変わらず仲いいのなと彼は言った。 彼は人当たりがよく頭の回転もなかなかに速く、いろいろなタイプの相手に如才ない会話を提供することができた。そういう人間はある程度の年齢になればしばしば見られるけれども、二十歳のころからうまくやれる人は珍しい。整った顔だちで着るものも気が利いていたから(とにかく全方位的に気が利いているのだ)、女の子たちにも人気があった。 けれども私は彼が少し苦手だった。彼の物言いからは時折、彼が持って

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    nkoz 2010/11/03
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