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ブックマーク / lllooll.hatenadiary.jp (2)

  • 苦しみがほんの一時だけ終わったある日のこと - 絶望を乗り越えるための仏教

    ちょうどクリスマスイブのことでした。 その日は朝からビーフシチューを作っていて、没入しないように 冷静に作業をしていました。早く正確に無駄なく集中して。 そんな調子で作り終え、慈悲の瞑想をしながら鍋をかき混ぜているときでした。 不意に、暖かくなめらかな多幸感が心から湧き出してきて、 自然に笑顔になっていました。「なんかこういう感じ久しぶりだな」 その当時は瞑想実践においてかなり色々な変化があって、 毎日それに対応するのに苦労していました。 いつも朝から外に歩きに行くのですが、その日は料理を終えてから出かけました。 歩きながらも多幸感は消えず慈悲の瞑想をしながら歩いていたのですが、 見るものすべてに慈悲の心を向けられるような、それほど温かいものが胸から 溢れているようでした。そのまま買い物をし必要なものをもって帰りました。 その間多幸感はずっと続いていました。 家に戻り多幸感が続いたまま座っ

    苦しみがほんの一時だけ終わったある日のこと - 絶望を乗り越えるための仏教
    nkoz
    nkoz 2016/09/11
  • 「受け入れられない自分」を受け入れる - 絶望を乗り越えるための仏教

    障害を持った人(わたしもその一人ではあるけれど)と話していると その人自身が障害者に対して強い偏見をもっていることがあります。 それは単純に誰かの受け売りかもしれないし、自分がされてきたことを そのまま他の人にやり返しているだけなのかもしれません。 しかし、わたしは、はじめそのことに強い嫌悪感を抱いていました。 自分自身が辛い目にあっているのに、なぜそんな酷いことをいえるのか、と。 それは他人をないがしろにするのと同時に 自分もないがしろにしていることではないかと。 ある瞑想会に参加した時、指導してくださった方が法話をされていて そのときにこんなことをおっしゃいました。 「人は苦しみの数だけ優しくなれる」 その方は今現在苦しみを抱えている人に対して それを肯定する意味で言ってくださってのですが、 わたしはそれを聞いてそんなに単純なものではないと 思ったのです。 実際には、苦しみを感じている

    「受け入れられない自分」を受け入れる - 絶望を乗り越えるための仏教
    nkoz
    nkoz 2016/09/08
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