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  • 一本線のジャージが着たかった 仮面ライダー2号への憧れ - 安心感の研究 by 暖淡堂

    こんにちは、暖淡堂です。 小学生の頃、腕や足の部分の横に一線が入っているジャージが着たかったです。 その理由は「仮面ライダー2号」のカッコ良さに憧れたから。 仮面ライダーと線の数 線の数と仮面ライダーとの関係を整理すると以下の通りです。 仮面ライダー1号 郷猛(初期):線なし 仮面ライダー2号 一文字隼人:線1 仮面ライダー1号 郷猛(復帰後):線2 暖淡堂の小学校の頃のジャージの線事情 僕が小学生の頃、学校指定のジャージは青地に白い線が2。 母親は面倒なことを考えない人なので、素直に学校指定のジャージを買っていました。 2でなければ線なしで、なんとも締まらないものになってしまいました。 学校指定のジャージがもたらした複雑な事情 学校指定のジャージが2線。 そのため、僕たちが仮面ライダーごっこをすると、仮面ライダー1号(復帰後)が多数存在することになってしまいます。 そこで

    一本線のジャージが着たかった 仮面ライダー2号への憧れ - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/25
    当時、線がない初代ライダーは物足りなかったな。でも映画(見ていない)では初代ライターのほうが迫力を感じました。巨人のユニフォームが当時2本線だったので、私は2本線に憧れていました。
  • 「Follow The Sun」 谷村新司 旅立ちの歌として - 安心感の研究 by 暖淡堂

    こんにちは、暖淡堂です。 卒業式は一通り終わった頃でしょうか。 卒業された人たちは、新たな暮らしの準備を進めているのでしょうね。 新しい暮らしを始めるということを考えると、思い出す歌がたくさんあります。 この「Follow The Sun」もそんな一曲。 この歌、とても好きです。 勢いがありますね。 そして、住み慣れた街を離れて、一人で暮らし始める人への、力強い励ましの歌になっています。 アパートに引っ越して、初めて一人きりで過ごす夜。 とても心細いですよね。 そんな時には、好きだった歌を思い出したり、口ずさんだりするのがよいです。 僕が18歳で一人暮らしを始めた頃は、この歌をよく思い出していました。 www.youtube.com 喝采(紙ジャケット仕様) アーティスト:谷村新司 EMIミュージック・ジャパン Amazon *☺☺☺☺☺* 「Follow The Sun」 谷村新司 旅立

    「Follow The Sun」 谷村新司 旅立ちの歌として - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/24
    この曲も懐かしいですね。「喝采」は部屋を真っ暗にしてよく聞きました。
  • 2010年8月中旬 帰省で初めての一時帰国(続き) 久しぶりのDomDomハンバーガー【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    ハンバーガーショップDOMDOMの紙袋(2010年夏) 2010年8月中旬の一時帰国の続き。 北海道への帰省中は、レンタカーを借りて移動していた。 黒いスバルのインプレッサだった。 車高が低めで、シートも低く、足を前に伸ばす体勢で運転するので、運動不足で筋力が落ちていた自分は、時々腰に痛みを感じた。 車自体は、パワーを感じられて、走りには安心感があった。 坂道の登りでは、とても楽に運転ができた。 我が家は、家族で出かけると飲店で事をするよりも、テイクアウトをして車の中や公園でべることが多い。 帰省中もほぼそのスタイルで事をしていた。 2010年当時、滝川にあったダイエー(現在はイオン)のDomDomでハンバーガーをテイクアウトした。 高校生の頃までは、ハンバーガーといえばDomDomだった。 田舎者だったので、マクドナルドの敷居は高かった。 そんなことを思い出しながら、久しぶりのD

    2010年8月中旬 帰省で初めての一時帰国(続き) 久しぶりのDomDomハンバーガー【微笑みの国の記憶:タイ駐在備忘録】 - 安心感の研究 by 暖淡堂
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    nmukkun 2024/03/24
  • iPhone 非正規店での修理には要注意 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    iPhone故障時の対応は慎重に こんにちは、暖淡堂です。 今週は娘のiPhoneが故障してしまい、その修理を初体験しました。 電話故障の顛末 娘の電話が使えなくなったのが、ちょうど娘の大学の卒業式で、袴姿に着替えるために娘が先に出かけた後。 着替えをする業者の仮設ブースに着いた頃のことだったようです。 で、娘は慌てて友人の電話からそのことを伝えてきたのですが、娘自身は僕やの携帯電話番号を覚えていなくて、メモも持っていません。 で、自宅の固定電話に電話をしてきました。 僕やも卒業式に行く予定だったので、「会場に着いたら友人の電話宛に連絡する」と言って電話を切りました。 僕とが会場に着いた時に、娘の友人の電話番号に連絡したのですが、残念ながら通じません。 卒業式が始まるので、会場に入って、そのまま式に参加していましたが、娘に会う方法を考えていて、落ち着きませんでした。 会場の出口で、娘

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    nmukkun
    nmukkun 2024/03/23
  • 真田太平記(十一)大坂夏の陣 池波正太郎 真田幸村、愛馬月影とともに - 安心感の研究 by 暖淡堂

    徳川軍の攻撃を凌ぎ切った豊臣方は、徳川家康と和議を結ぶ。 しかしそれは、徳川方の謀略の一段階に過ぎなかった。 豊臣方中枢部の動きに幻滅しながらも、真田幸村は自らの生き方を貫こうとする。 兄、真田信之との対面も、幸村の意志を変えることはできなかった。 大坂城の外堀を埋めきった徳川家康は、最後の仕上げにかかる。 大坂夏の陣が始まる。 真田幸村は、自らに従う兵達とともに奮戦し、一度は家康を敗走させる。 しかし、最後には兵力の差が幸村軍の勢いを止めてしまう。 味方の兵達とはぐれた幸村は、愛馬月影とともに、静かに田の中に倒れる。 幸村は、最後まで、自らの戦いを戦い切った。 真田太平記(十一)大坂夏の陣(新潮文庫) 作者:池波正太郎 新潮社 Amazon ***** この後、真田家の存亡をかけた最後の戦いが始まります。 真田太平記(十一)大坂夏の陣 池波正太郎 真田幸村、愛馬月影とともに dantan

    真田太平記(十一)大坂夏の陣 池波正太郎 真田幸村、愛馬月影とともに - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/23
    ここは哀切を感じますよね。11巻の長い物語でしたが、一気読みでした。
  • 「春雷」 ふきのとう 春まだ浅い頃に - 安心感の研究 by 暖淡堂

    こんにちは、暖淡堂です。 春分の日に、霙混じりの雨と雷で、驚きました。 で、すぐに思い出したのがこの曲。 車を運転していたのですが、その間ずっと、頭の中を流れていました。 名曲ですね。 ふきのとうのハーモニーがとてもよく生きていると思います。 ちなみに、深田恭子さんの映像を使った動画がありました。 こちらも、ちょっとハマりそうです。 今週は個人的にもいろんなことがありました。 落ち着かない日々が続きましたが、この週末はのんびりと過ごそうと思っています。 皆様も、どうぞよい週末を。 www.youtube.com 2000 BEST アーティスト:ふきのとう ソニーミュージックエンタテインメント Amazon 「春雷」 ふきのとう 春まだ浅い頃に ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ ランキング参加中年代 dantandho にほんブログ村ランキングに参加しています

    「春雷」 ふきのとう 春まだ浅い頃に - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/22
    ふきのとう。懐かしいですね。ただし深田恭子とコラボはちょっと…
  • 遊んでいた時の事故と、大人たちのおおらかな対応 【沙河33】 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    子供たちだけで遊んでいると、いろいろなことが起こります。 それぞれに自分たちだけでまず対応をしなければいけなかった。 そんな経験が、僕たちを成長させていたのだと思います。 驚いたり、恐怖を感じたりするようなこともありました。 そんな出来事に対して、誰がどのように対処するのかを知り、その後の対人関係も変わっていったのでしょう。 僕自身は大概のことにオロオロとしているだけだったような気もします。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十五)② ある日、小さな事故が起こった。 いつものように西森君や川田君、その他の数人の友だちと野球をして遊んでいた。 転がったボールを拾おうとホームベース近くに駆け寄った西森君の顔に、他の友だちが素振りをしたバットの先が当たったのだ。 西森君は顔を抑えてしゃがみこんだ。一緒にいた友だちが皆、西森君の周りに集まった。 痛そうだった。少し血が出ていたようだった。僕は怖くて

    遊んでいた時の事故と、大人たちのおおらかな対応 【沙河33】 - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/22
    今と比べて、昔は子供たちは、平気で危険に近づいて行きましたね。
  • 【現代詩】「雨のち晴れ」 乾いた日々のイメージ 現代詩の試み - 安心感の研究 by 暖淡堂

    雨のち晴れ 雨、が降っていた 暖かな朝だった と娘に見送られて 家を出た車から たくさんの水滴が落ちた まだ暗い道を 白いライトで擦りながら走る 濡れたの死骸がまだある ライトの破片が散らばっている 打ち合わせを終え 蒸し暑い電車の中で過ごしていると 建設中のやせた骨組みの向こうに 沈む夕日が見えた それは、温かな裏側に逃げ込むような 穏やかな顔だった 電車を降りると 僕だけが冷たい風に包まれた ***** 朝から夜まで、僕たちは歩き続けますね。 同じところを、何度でも。 それが平気になってしまった頃に、突然強い風が吹いて、空を見上げることを思い出させてくれるような気がします。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dantandho にほんブログ村 ランキング参加中詩 ランキング参加中雑談・日記を書き

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    nmukkun 2024/03/21
  • 「清盛は、常盤がもし自分に従いさえするのであれば」 義経記 巻第一 常盤都落(みやこおち)の事(四) - 安心感の研究 by 暖淡堂

    こんにちは、暖淡堂です。 「義経記」の常盤都落ちの四回目。 常盤は清盛らに囚われてしまいます。 そして清盛は常盤に文を届ける。 常盤は子らのためと心を決め文を開きます。 清盛は、常盤がもし自分に従いさえするのであれば、将来たとえ平家の敵になったとしても構わぬ、その三人の子らを助けてやろうと思った。それで、頼方、景清に命じて、七条朱雀(しゅじゃく)というところに常盤らを置いた。見張りの当番の采配は頼方にまかせて守護させた。 常盤のもとに、清盛は手紙を書いて届けさせたが、常盤はそれを手に取りもしなかった。それでもついには、子を助けたいがために、清盛の意に従うことにした。常盤のこの決心のおかげで、三人の子らはみな、それぞれ別れてはいたが成人することが出来たのであった。 現代語訳:暖淡堂 *☺☺☺☺☺* 実際にはどのようなやり取りがあったのかはよくわかりません。 そうだとしても、この常盤の決心によ

    「清盛は、常盤がもし自分に従いさえするのであれば」 義経記 巻第一 常盤都落(みやこおち)の事(四) - 安心感の研究 by 暖淡堂
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    nmukkun 2024/03/21
  • 【現代詩】「西へ」 彷徨い続けるイメージ 現代詩の試み - 安心感の研究 by 暖淡堂

    西へ あの街は 雪が降り積もると 冬は暖かかった それがわかったのは 冷たい風だけの 冬を何度も過ごしたから 一人きりでは 耐えられなかったかもしれない 立ち続けることも できなかったかもしれない 僕は家族に 仲間に 支えられながら 自分で立ち歩き続けていける もっと、西へ ***** いつ頃まで、彷徨い続けるのかな、なんて思ったりします。 疲れた、というよりは、そろそろいいかな、みたいな感じですね。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dantandho にほんブログ村 ランキング参加中詩 ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ

    【現代詩】「西へ」 彷徨い続けるイメージ 現代詩の試み - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/20
    本文と関係ないですが、皇族の愛子さまの卒論テーマが式子内新王とのニュースを見ました。ちょうど先日百人一首で取り上げられましたね。
  • 「覇王の神殿(こうどの) 日本を造った男・蘇我馬子」 伊東 潤  馬子・額田部・厩戸 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    こんにちは、暖淡堂です。 歴史で「飛鳥時代」について学びましたね。 推古天皇や聖徳太子、蘇我氏、物部氏などが登場する時代。 ただ、出来事の全体像を流れで理解することができないまま、人名や事件などを個別に覚えていました。 今回、伊東潤さんの「覇王の神殿 日を造った男・蘇我馬子」を読んで、飛鳥時代にあったことがようやく理解できました。 この時代を理解するための要点は「蘇我氏、推古天皇、聖徳太子」の関係を知ること。 この作品では、その辺りが詳しく書かれていています。 創作の部分も多いのでしょうが、登場するそれぞれの人物の関係はよくわかります。 また後に聖徳太子と呼ばれた厩戸が、皇太子となりながら、なぜ大王(天皇)とならなかったのか、その部分もドラマとして描かれており、とても面白く読み進めることができました。 蘇我氏の立場 当時の大和国は、豪族の寄せ集め。 天皇も大王おおきみと呼ばれ、豪族集団の

    「覇王の神殿(こうどの) 日本を造った男・蘇我馬子」 伊東 潤  馬子・額田部・厩戸 - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/20
    こちらは未読です。伊東潤さんなので、明解で論理的に描いているのでしょうね。落ち着いたら読ませていただきます。
  • 「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば」 式子内親王 斎院による「忍ぶ恋」の歌 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    百人一首第89番目の歌の作者は式子内親王しょくしないしんのうです。 賀茂斎院かものさいいんとして11歳から21歳まで過ごした人でした。 今回は式子内親王について紹介します。 式子内親王とは 生年が1149年、没年が1201年。 後白河天皇の皇女です。 守覚法親王や以仁王の姉にあたります。 21歳で斎院を退きますが、その後は社会とは交わらず、藤原俊成や藤原定家らの指導を受けて和歌を勉強するような、静かな暮らしをしていたようです。 その式子内親王は、のちに呪詛事件の犯人とされてしまいます。 この事件があってから、式子内親王は出家しますが、亡くなるまでの生涯は、人が希望したような穏やかなものではなかったように思えます。 歌に詠まれている「玉の緒」とは、玉を貫いてつなぐ糸。 玉(魂)をつなぐ糸の意味に転じて、命の意味となります。 この命が絶えてしまうのであれば、絶えてしまえ。 そう式子内親王は自

    「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば」 式子内親王 斎院による「忍ぶ恋」の歌 - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/19
    和歌は元々激しい思いが含まれていると思いますが、後白河法皇の娘と聞くと、更に激しく感じます。斎院のいわれ、初めて知りました。
  • 昭和56年頃の旭川市のこと 大町岐線ってなんだろう - 安心感の研究 by 暖淡堂

    こんにちは、暖淡堂です。 義父の遺品の「北海道第百科事典」から。 今回は僕が住んだことのある「旭川市」を紹介します。 当時の旭川市の街略図は以下になります。 北海道大百科事典の刊行は昭和56年(1981年)。 僕は昭和58年から4年間暮らしたので、僕が旭川に引っ越す2年前の状況です。 当時の旭川の人口は35万2620人。 札幌に次ぐ北海道第2の都市。 砂川で生まれ育った僕にとっては、大都会でした。 1890年に旭川村ができ、1893年に永山村戸長役場から分離した戸長役場が旭川村に置かれました。 永山の方が先だったのですね。 1900年に旭川町。 この年に第7師団が設置されます。 この名残で、旭川市内には自衛隊駐屯地が今でもありますね。 第二時世界大戦終了までは旭川は軍都の色彩が強かったようです。 旭川市になったのは1922年です。 旭川市街略図(北海道第百科事典上巻p55、北海道新聞社)

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    nmukkun
    nmukkun 2024/03/18
  • 道の駅「天城越え」で休憩 伊豆半島縦断中 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    道の駅「天城越え」 こんにちは、暖淡堂です。 2024年3月14日(木)と15日(金)で、伊豆下田に行ってきました。 僕は年休消化を兼ねていますが、出向前の気持ちの整理もしたいな、と思っていました。 娘は大学と大学院の間の準備期間で、時間は自由になっています。 ホテルに泊まると、事の準備などから解放されるので、年に数度は旅行に連れて行ってあげたいと思っています。 帰宅後の諸々片付けは大変なのかもしれませんが。 で、我が家の旅行の特徴として、「なかなか進まない」というのがあります。 前回の「文化のパラダイス」で、たっぷりと休憩。 その後も、道の駅を見つけると最低でも2か所のうち1か所には立ち寄ります。 そこでゆっくりと休憩します。 伊豆半島の付け根のあたりにあった道の駅(めんたいパーク、伊豆わさびミュージアム、伊豆ゲートウエイ函南が併設)で休んだ後、さらに南下しました。 立ち寄ったの

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    nmukkun
    nmukkun 2024/03/17
  • 【旭川のこと】ずっと昔とちょっと昔 路面電車、アパート暮らし、蜂屋のラーメン - 安心感の研究 by 暖淡堂

    子供の頃から、何度も旭川に行っています。両親と行ったり、親戚のおじさんおばさんに連れて行ってもらったり。祖父母と行ったこともあります。我が家は旭川に親戚が多く、旭川という街には馴染みがありました。親戚の家に行くついで、ということもあったと思います。 大学の学部の4年間(1983年から1987年)は旭川で過ごしました。卒業後は札幌の大学の大学院に通っていましたが、旭川にはバンド活動で何度か行っています。 その後、就職して北海道を離れている間に、旭川は大分変わっていましたね。旭山動物園はテレビや新聞などで話題になるくらいに画期的な動物園になっていたようです。 上の写真は、動物園改装後に家族で訪れた時に撮影したものです。夏休みの帰省中ですね。ライオンの雄と雌がのんびりと昼寝をしていました。 今回は、旭川にまつわる、ずっと昔とちょっと昔の思い出を書いてみようと思います。 路面電車のこと <旭川電気

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    nmukkun
    nmukkun 2024/03/17
    旭川ラーメンといえば、私は山頭火の塩ラーメンでしたが、しょうゆなんですよね~
  • 楽園のスーパーマーケット 家族旅行で立ち寄ったお店 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    文化のパラダイス こんにちは、暖淡堂です。 2024年の3月14日(木)と15日(金)で家族旅行に出かけました。 行き先は伊豆半島の先端の下田。 自家用車で行ってきました。 両日とも好天。 とても気持ちのよい旅行になりました。 伊豆半島に入ってからと下田で見た風景などの紹介は次回以降にさせてください。 今回は途中の御殿場で見かけた看板のこと。 車の中でべる軽を買おうと、道路沿いにあったスーパーマーケットに入りました。 そこが「あおき御殿場店」。 東京都内にもあるようです。 で、駐車場に入る途中で目にした看板の言葉。 ついつい二度見してしまいました。 車を駐車場に置いてから、近くまで確認に行きました。 そこで撮影したのが上の写真。 「文化の<パラダイス>楽園」 「パラダイス」に続けて「楽園」とあるのも、ちょっとしたツボ。 御殿場の「くすぐり」と「つかみ」の技の深さを感じました。 この

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    nmukkun
    nmukkun 2024/03/16
    下道で下田までとは、大変だったと思います。以前は高速料金節約でよく下道を使いましたが、今はダメですね(コメントが本文と離れてごめんなさい)。
  • 【終活の一歩手前】遺品整理を実際に経験してわかったこと 業者選定はよく考えて - 安心感の研究 by 暖淡堂

    ずっと一人で暮らしていた義母が亡くなった後、義兄夫婦と我が家の嫁さんが遺品整理をしました。 僕は相談にのったり、できることを少しだけ手伝ったりしただけですが、色々とわかったことがあります。 自分の両親も、実家で暮らしているので、これから遺品整理などを実際にしないといけません。 そのときの参考になるようなことがいくつかわかりました。 今回の記事では、いくつかの買取業者とのやり取りでわかったことを、まずは自分のための備忘録としてまとめておきたいと思います。 内容が皆さんの参考になれば幸いです。 回収業者には「買取業者」と「粗大ゴミ回収業者」がある 遺品整理を相談する業者は、大まかに「買取業者」と「粗大ゴミ回収業者」があります。 いずれも、買取可能なものは買い取ってくれるのですが、「粗大ゴミ回収業者」は提携している業者に別途依頼することが多いようです。 一方の「買取業者」は、まず遺品の価値評価を

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    nmukkun
    nmukkun 2024/03/16
  • 【現代詩】「行かない」 そっと離れている 現代詩の試み - 安心感の研究 by 暖淡堂

    行かない 人の集まるところには行かない 友だちの集まっているところには行きたくない 懐かしい人たちには会いたくない ただ、あの風景には無性に会いたくなる あの日の風に、また吹かれたくなる あの夜聴いた歌に、また揺さぶられたくなる だけど、僕は〝ここ〟にいる いつも、うろついているが 一歩ずつ、歩いている 汚れた、手垢のついた 「ありのままの自分」など もう引っ張り出す必要はない だから もう、行かない ***** あの日の空の下に立つと、そのままで、ありのままの自分になるような気がしています。 その、あの日の空は、もうずっと昔から探し続けているのですが、まだ会えていません。 なので、僕はもう、その日の空の下の自分であり続けるしかありませんね。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dantandho にほん

    【現代詩】「行かない」 そっと離れている 現代詩の試み - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/15
    文意と違うかも知れませんが、共感します。人と交流する時、自分を繕ったり相手にどう伝わるか不安になったりで、最近はプライベートでの付き合いは激減しました。
  • 駅前のロータリーで遊んだこと 三角ベースボールの思い出 【沙河32】 - 安心感の研究 by 暖淡堂

    祖父の葬儀の後、数日して夏休みが終わりました。宿題はほぼやっつけで片付けて、学校に提出しました。 宿題をちゃんとやらなかったのは、この年の夏休みだけではないのですが。 夏休み中はほとんど会わなかった同級生たちと再会して、また放課後など一緒に遊ぶようになりました。 函館線に豊沼駅があります。現在の三井化学砂川の最寄り駅になります。 その駅前のロータリーを占領するような形で三角ベースボールをよくやっていました。 ファールチップが駅舎の窓に当たったりしましたが、怒られたことはなかったですね。 当時は無人駅ではなかったのですが。おおらかな時代だったということでしょう。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十五)① 夏休みが終わった。 私は夏休みの宿題を手早く済ませ、自由研究の課題は数時間で片づけた。 家の周りで見つけた虫を生乾き状態の標にして、学校に持っていたのだ。 かなり雑な出来上がりだった。

    駅前のロータリーで遊んだこと 三角ベースボールの思い出 【沙河32】 - 安心感の研究 by 暖淡堂
    nmukkun
    nmukkun 2024/03/15
    なぜか学校の近くに芝生がたくさんあり、こっそり入って野球をしていました。いい時代でした。
  • 晩冬に北海道に行った時のこと 疎林の先のピンネシリ - 安心感の研究 by 暖淡堂

    2022年3月に北海道に帰省した時の写真を見ていました。 その中の一枚が、自分が北海道で暮らしていた頃を思い出す時の最初の風景とほぼ同じであることに気づきました。 雪原の中に疎林があって、その先にピンネシリに連なる山並みが見えます。山は全体が雪に真っ白に覆われています。 この風景の中で育ち、多くの人と出会い、大切な人たちと別れ、一人きりでこの場所を離れてきたんだなあ。そんなことを思ったりします。 自分の北海道の思い出で、まず出てくるのが、雪、そしてピンネシリ。 今、暮らしているところには、いずれもありません。 *☺☺☺☺☺* 晩冬に北海道に行った時のこと 疎林の先のピンネシリ dantandho ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ にほんブログ村

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    nmukkun
    nmukkun 2024/03/14