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歴史と政治に関するno_more_jiminのブックマーク (7)

  • いかなる理由があろうとも戦火だけは交えない国でありたい(鳥越俊太郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    ハイライト Photo by Official U.S. Marine Corps photo by Lance Cpl. Achilles Tsantarliotis 私は昭和15年(1940年)に生まれた。終戦のとき5歳児であった。 勿論その頃の記憶は明瞭にあり、度重なる空襲警報に逃げ惑い、防空壕に逃げ込んだこと数知らず。逃げる途中に上空にB29が飛来すると道路脇の小川に飛び込んで身を伏せることもあった。 Photo by USAAF 翌昭和21年、私は小学校に入った。その時から私の戦後は始まる。私たちの世代は戦後1期生と言ってもいいだろう。 私そして私たちは常に飢えていた。極端に貧しく、べるものがなかった。お米がないのは当たり前、さつまいもを常にしていた。今でも思い出すのは学校で弁当箱を開けたらさつまいもがごろりと1転がっていた光景である。 貧しさと同時に、私たちは平和と民主主

    いかなる理由があろうとも戦火だけは交えない国でありたい(鳥越俊太郎)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
  • 「ナヌムの家」21周年記念式典への/志位委員長のメッセージ

    共産党の志位和夫委員長が10日、韓国の「ナヌムの家」設立21周年・日軍「慰安婦」歴史館開館15周年記念式典に送ったメッセージ全文は次の通りです。 ナヌムの家設立21周年と日軍「慰安婦」歴史館の開館15周年を記念する式典への招待をいただき、心から感謝します。残念なことに日、東京でおこなわれる私たちの党創立91周年記念講演会と重なったため、出席がかないません。筆舌に尽くしがたい歴史の生き証人であるハルモニの方々、その生活を支えつつ歴史の事実を粘り強く伝えてこられた方々に、心からの敬意を込めて連帯のあいさつを送ります。 戦後68年もたってなお残されている日軍「慰安婦」問題の解決は、被害者の方々の年齢を考えても、緊急の課題です。その解決のためには、日政府としてこの植民地犯罪について謝罪と賠償をおこなうことが不可欠です。韓国政府は、1965年の日韓請求権協定に基づく両国政府間の協議を繰

    「ナヌムの家」21周年記念式典への/志位委員長のメッセージ
  • 日本共産党 「慰安婦」問題解決に全力 韓国 記念式典に笠井氏出席

    韓国の日軍「慰安婦」被害者が共同生活する京畿道・広州市の「ナヌムの家」で10日、同施設の設立21周年と併設する「日軍『慰安婦』歴史館」開館15周年を記念する式典が開かれました。日からは、日共産党を代表して笠井亮衆院議員が来賓として出席してあいさつ。志位和夫委員長のメッセージを代読し、「慰安婦」問題解決のために全力を尽くすと強調しました。(メッセージ全文) 志位委員長はメッセージで、「『慰安婦』問題の解決は、被害者の方々の年齢を考えても、緊急の課題」と指摘。日政府は、韓国政府が1965年の日韓請求権協定に基づいて求めている政府間協議に応じるべきだと述べました。 世界で日の右傾化への懸念が強まっているなか、日共産党は91年の歴史を持ち先の参院選で躍進した党として、歴史をゆがめる逆流とたたかい、「日政治をアジアや世界から歓迎される方向に転換させる」と表明しました。 「ナヌムの家

    日本共産党 「慰安婦」問題解決に全力 韓国 記念式典に笠井氏出席
  • いわゆる河野談話について|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり

    Q いわゆる従軍慰安婦に関する官房長官談話(河野談話)が今、問題になっていますが、この談話が出された経緯を教えて下さい。 A 宮沢内閣当時、当事者による訴訟の提起や宮沢総理の韓国訪問時に盧泰愚大統領からの問題提起などがあり、関係諸国などから強い関心が寄せられました。 そのため1991年12月より、いわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかを、警察庁、防衛庁、外務省、文部省、厚生省、労働省がそれぞれ調査し、その結果を1992年7月6日に内閣官房内閣外政審議室がとりまとめ、「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」として発表しました。 それによると、(ネット上に資料がないので下記引用します。誤字脱字があったらお許し下さい。) 「慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないた

  • 枝野氏:東電が人員全面撤退の意向、昨年3月の福島原発 - Bloomberg

    5月28日(ブルームバーグ):枝野幸男経済産業相は27日午後、国会が設置した東京電力福島原子力発電所事故調査委員会で、東電の清水正孝社長(当時)が昨年3月11日の事故発生後、同原発の人員を全面撤退させる意向を政府側に伝えていたことを明らかにした。 事故当時に官房長官だった枝野氏は国会事故調で、「社長から電話があり、全面撤退の趣旨の話があった」と述べるとともに、「部分的に残すという趣旨ではなかった」と語った。 東電広報担当の横倉理氏は27日、ブルームバーグ・ニュースの電話取材に対し、先に公表した通り、福島第一原発から全員を撤退させようとした事実はないとコメントした。国会事故調は28日午後2時から菅氏への聴取を行う。 一方、枝野氏は、政府として炉心溶融(メルトダウン)などの事実公表が遅れたとの指摘に対して、「『隠したり遅れたりしたら結果に影響しなくても大きな問題になるから、すぐ出せ』と東

  • 東京新聞:「全員撤退打診は明確」 枝野氏 東電の主張否定:社会(TOKYO Web)

    福島第一原発事故の発生当時に官房長官だった枝野幸男経済産業相が二十七日、国会の事故調査委員会に参考人として出席し、東京電力が福島第一からの「全員撤退」を政府に打診したとされる問題について、清水正孝社長(当時)との電話の内容から「部分的に残す趣旨でなかったのは明確」だと述べた。当時の海江田万里経産相らも同様に説明する一方、東電の勝俣恒久会長らは一部退避だったとしており、官邸と東電の見解の対立があらためて浮かんだ。 枝野氏によると、3号機で水素爆発があった後の昨年三月十五日未明、清水氏から枝野氏に電話がかかった。枝野氏が「そんなこと(全員撤退)をしたらどんどん事態が悪化して、止めようがなくなる」と言うと、清水氏は口ごもり、反論できなかったという。 枝野氏はこのやりとりから、清水氏が全員撤退を訴えたことは明らかだと話した。 事故から一夜明けた三月十二日早朝に菅直人首相(当時)が福島第一を視察する

  • 47NEWS(よんななニュース)

    国立科学博物館が困った「後継者がいない」 化石のレプリカ作り続けて50年、研究者らが惚れ込むレジェンド職人ついに引退 「路頭に迷いつつある都市」渋谷から見える日社会の未来、カルチャーの行方とは? 社会学者の吉見俊哉さんとアーティストの宇川直宏さんが渋谷パルコで対談「渋谷半世紀」~若者の聖地の今~

    47NEWS(よんななニュース)
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