2019年6月28日のブックマーク (4件)

  • 高島忠夫さん、老衰で死去 88歳 政宏&政伸兄弟の父 - スポーツ報知

    映画から舞台、司会など幅広く活躍し、「イェーイ」の決めぜりふでも知られる俳優の高島忠夫さんが26日、老衰のため自宅で亡くなった。88歳だった。 所属事務所の東宝芸能が28日、報道各社にファクスで発表した。・寿美花代の「最後は家族で見送りたい」という希望で家族だけで27日に密葬を行った。お別れ会などを開催する予定はないという。 高島さんは戦後間もない1951年、新東宝の第1期ニューフェースに合格し、芸能界に飛び込んだ。翌年には映画「花の応援団長」で役者としてデビュー。端正なマスクの一方で関西弁の話術でも人気を集めた。 63年に宝塚のスターだった寿美花代と結婚。64年8月、生後5か月だった長男が家政婦に殺害されるという惨劇が起きたが、65年には二男の高嶋政宏、翌年には三男の高嶋政伸が誕生。兄弟は後にいずれも芸能界入りした。 寿美とのおしどり夫婦ぶりも有名で、2人で司会を担当した日テレ系料理

    高島忠夫さん、老衰で死去 88歳 政宏&政伸兄弟の父 - スポーツ報知
  • 窓から女の子転落 危機一髪 少年がキャッチ トルコ | NHKニュース

    トルコのイスタンブールで、道を歩いていた17歳の少年が建物の2階の窓から誤って転落した2歳の女の子をとっさにキャッチして事なきを得た様子が映像に捉えられ、少年の行動に称賛の声が集まっています。 なにやら心配そうな表情で建物を見上げる少年。 次の瞬間、落ちてきたのは幼い女の子です。 少年は地面すれすれのところで女の子を抱きかかえるようにキャッチし、周りの人たちがあわててかけつけています。 女の子を救ったのは近くで働くアルジェリア人の17歳の少年で、女の子にけがはなく、無事だったということです。 現地のメディアによりますと、女の子は2歳で、母親がキッチンで料理をして目を離していたすきに、建物の2階にある窓から誤って転落したということです。 少年は「女の子が窓からぶら下がっているのに気付いて近づくと、落ちてきたので受け止めました」と話していました。 映像は現地の通信社を通じて世界のメディアに報じ

    窓から女の子転落 危機一髪 少年がキャッチ トルコ | NHKニュース
    nobinyanmikeko
    nobinyanmikeko 2019/06/28
    母親が謝礼を¥3,700出したそうだ。母親も受け止めた少年も移民だから貧しいのかな。
  • 「天才的ピッチング」で打者を手玉 鮮烈な印象残したサウスポー列伝 | AERA dot. (アエラドット)

    93年には沢村賞を受賞した中日の今中慎二 (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る 昔も今も、その希少価値と有効性、そして観るものを異世界へと導く天才的なピッチングで、球界に大きな足跡を残しているのが左投げの投手たちである。これまで数々のサウスポーたちが活躍し、その記録もさることながら我々の記憶に強烈な印象を焼き付けてきた。 【画像】「破天荒すぎる伝説」を残した“レジェンド”カネやん では、史上最強のサウスポーは誰か。この問いの解として、多くのOB、識者が名前を挙げるのが、金田正一と江夏豊のレジェンド2人だろう。金田は「手元でホップする」と言われた威力抜群の快速球と鋭く曲がるカーブを武器に、日史上唯一の通算400勝をマークし、沢村賞を計3度受賞。江夏は先発としては日記録のシーズン401奪三振、リリーフとしても歴代最多タイの計5度のセーブ王に輝き、オールスターゲームでの「9者連続三振」

    「天才的ピッチング」で打者を手玉 鮮烈な印象残したサウスポー列伝 | AERA dot. (アエラドット)
    nobinyanmikeko
    nobinyanmikeko 2019/06/28
    梶本隆夫・安田猛・角盈男を忘れてないか?
  • 「河野さんの無実は最初からわかっていた」黙殺された科学者の訴え【松本サリン事件25年】〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

    1994年6月27日深夜、長野県松市で発生した「松サリン事件」。死者8人、重軽傷者約600人という、オウム真理教が起こした無差別大量殺人事件だ。 【写真】科学者として事件直後から河野さんの無実を訴えた田坂興亜さん 事件では第一通報者の河野義行さんが長野県警からサリン製造の疑いをかけられ、メディアも河野さんを犯人視する報道を続けた。河野さんの疑惑が晴れたのは、翌95年3月20日に地下鉄サリン事件が起き、教団幹部が次々と逮捕されてから。松サリン事件は多数の被害者を出しただけでなく、警察とメディアによる河野さんへの人権侵害事件でもあった。 実は、事件の発生直後に化学の専門家が「河野さんにサリンは製造できない」と指摘していたことはあまり知られていない。なぜ、科学者の意見は警察の捜査やメディアの報道に生かされなかったのか。事件発生翌日に、謎の毒ガス物質を「サリン」と分析し、河野さんの疑いを晴ら

    「河野さんの無実は最初からわかっていた」黙殺された科学者の訴え【松本サリン事件25年】〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
    nobinyanmikeko
    nobinyanmikeko 2019/06/28
    他のメディアが河野義行犯行説から退いて行った後も最後まで河野義行犯行説を書き続け、現在なお謝罪していないのは週刊新潮だね。