武田 信義(たけだ のぶよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。源清光の次男。逸見光長とは異母兄弟。甲斐源氏4代当主。武田氏初代当主。新羅三郎義光の曾孫である。 生涯[編集] 大治3年(1128年)8月15日、新羅三郎義光の孫である源清光の次男として生まれる。逸見太郎光長と一卵性双生児として生まれた。逸見光長は巳刻に生まれ、武田信義は午刻に生まれる(『尊卑分脈』に記述有り)。幼名を龍光丸・勝千代といった。 保延6年(1140年)、13歳で武田八幡宮にて元服し、武田太郎信義と名を改める。これ以来、武田八幡神社は甲斐武田氏の氏神となる。武田の名字は河内源氏の一族の源義光(新羅三郎義光)の子・源義清が常陸国武田郷(現:茨城県ひたちなか市)から甲斐国に配流されて武田氏を名乗ったのに始まる。 治承4年(1180年)4月頃、以仁王の令旨を戴いたとみられる。『山槐記』9月7日条には「義朝子伊豆を領