1960年6・15国会南通用門付近で樺美智子が殺されたとき、同情共感しない国民はほとんどいなかった。 戦後映画を見れば明らかであるように、若くはつらつとした知的な女性が、そこで一様に担っているもの――平和、文化、進歩、誠実、一途さ――彼女らは、たいてい農村部の小学校の女教師か何かで、颯爽と自転車に乗り、オルガンを弾いていた。樺美智子は、そんなすべてを一身に体現していた。彼女が担っていた共産主義者同盟のイデオロギーとか彼女自身の自己理解を超えて、樺美智子を当時の歴史的な国民的想像力の文脈におき、共感の焦点となったその象徴的意義に注目すべきだろう。そうするとそれは、一方では正田美智子嬢に重なっていると同時に、他方では力道山にも連なるシンボルとして像を結ぶのである。彼女が闘った敵、岸信介は、対照的に悪代官的キャラクターのもとに、一方では戦前の反動勢力の生き残りとして、他方では我が国のナショナリズ