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2006年12月19日のブックマーク (2件)

  • お上意識 - 狂童日報

    人は「お上意識」が強いといわれる。 確かにそうだ。「お上意識」を批判し、公務員の「特権」を批判し、その数を削減せよとのたまう人が、「行政は何をやっているのか」「政府の責任だ」と平然と言う。「お上意識」を強く批判する人の論理の中に、強固な「お上」願望がある。「お上意識」への批判は、ほとんど日社会のお約束であると言っていい。私の「お上意識」も相当なものだと思うが、こういうお約束的な「お上」批判を平然と繰り返す人たちほどではないと思う。 日人は「お上」というのは絶対になくならないものだと思っている。「下」がどれだけ批判し、「お上」の力をそぎ落とそうとも、天から降り注ぎ続けるものだと考えている。日中国との違いに何があるといわれたら、真っ先にこの「お上」意識を挙げるだろう。中国では「お上」の力なんていい加減なもので、砂上の楼閣でしかない、ということが暗黙の前提になっている。「お上」に対す

    お上意識 - 狂童日報
    noharra
    noharra 2006/12/19
    気づかなかった視点:今のところは、まだ「お上」は健在である。しかし公務員の数を大幅に削減した上に、敬意や期待なしにルサンチマンだけがぶつけられ続けて、「お上」が健在であり続けるわけがない。
  • 葉っぱの「歩行と記憶」

    代理人さわこです。 kuriyamakoujiさんのご葬儀ですが、ご自宅近くのお寺で家族葬をされるそうです。 94歳のお母様は足腰が弱られているので、ご兄弟のみで営まれるそうです。 取り急ぎご報告いたします。 代理人さわこです。 悲しいご報告しなければなりません。 kuriyamakoujiさんは、今(2012.10.1 16時)から1時間ほど前に息を引き取られたそうです。 お見舞いにいかれたご友人からお知らせがありました。 昨日お見舞いにうかがったときはまだいつもどおり声も大きく、はっきりとお話されていたので信じがたい気持ちですが、「呼吸ががくっと止まるんだよ、それでさ、戻ってこれるかこれないかわかんないだよ」「このまますーっとさ、死ぬのもいいかな」とも、いつもの、いつもの調子でおっしゃってたのでした。 せっかくみなさんが書き込んでくださったコメントをお伝えするのが間に合いませんでした。

    葉っぱの「歩行と記憶」
    noharra
    noharra 2006/12/19
    もしこの種の恫喝訴訟がまかり通るようになれば、フリー記者には(いや、あるいは社員記者もできなくなるかも)企業批判はまったくできなくなります。