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2009年5月1日のブックマーク (3件)

  • 政財界にはびこる国有財産泥棒 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

    株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分

    政財界にはびこる国有財産泥棒 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
    noharra
    noharra 2009/05/01
    売れっ子タレント批判は絶対的タブー:いじめは弱い人間が束になって行うものだ。あるいはその時の空気でいじめを行う。今回、SMAPの草なぎ氏に対してテレビや新聞が行ったことは、私は一種のいじめだと捉えている。
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    トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…

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  • 方言のない日本語? | サルタ先生との日々

    ●青山学院大学文学部日文学科編『異郷の日語』(社会評論社) ※佐藤泉の「いかんともしがたい植民地の経験-森崎和江の日語」に、こういう箇所がある。 支配者の娘森崎は、朝鮮にあっても一貫して「日語」を使った。彼女の日語は、朝鮮人の子どもたちが学校で習う日語と「同じ」ことばだった。「それは方言のない学習用語で、標準語と言っていた」。植民二世の子どもの日語は日語を強いられた朝鮮人の子どもと同じ、生活のない人工語だった。(p.73) 別の箇所にもこういった記述が。 日韓条約後の一九六八年、森崎は亡くなった父の代理で、父が初代校長を務めた慶州中高等学校の開校三十周年記念式典に招待され、二十数年ぶりの韓国を訪れている。そこには父の教え子たちが森崎の訪韓を待っていた。(中略) 森崎は彼らに再会し、その日語が昔のまま「なんのなまりもないことに激しいめまいを覚えた。」「日に帰って来て、その

    noharra
    noharra 2009/05/01
    自分にとっての普遍というものを人は小学生の時に(その風土にその言語において)獲得する。:「森崎は彼らに再会し、その日本語が昔のまま「なんのなまりもないことに激しいめまいを覚えた。」」