ゴリラの問題は終わったと思っていた。それは過去のことだったはずだ。aikoとゴリラの綱引きは終った。私はもはやaikoとなった。それでよかったはずだ。しかし今ふたたび、ゴリラが問題としてせりあがってきている。aikoとゴリラの綱引きは終っていなかった。 だが、このブログにおけるゴリラにせよ、aikoにせよ、特殊な用語になっているのは事実だ。それは一般的な意味合いからかけ離れている。混乱を避けるためにも、まずは整理しておいたほうがよいだろう。 数年前、「aikoとゴリラの綱引き」という文を書いた。それをaikoの勝利に終わらせた。これが当時の結論だった。「ゴリラとしてふるまえ」という社会からの要求によってゴリラのように振るまっていた男がいて(ハリボテとしてのゴリラ)、その男が自己の内側に、背の低い女としてのaikoを発見する。その発見によって、ゴリラ的なものとaiko的なものの葛藤が起こる(