2回目のジャンプを飛び終え、「翼」であるスキー板に軽くキスをした。12日の平昌五輪ノルディックスキー・女子ジャンプ。多くのけがを乗り越えたワールドカップ(W杯)初代女王のサラ・ヘンドリクソン(米)は19位にもかかわらず、はしゃいでいた。「とてもうれしかったし、ジャンプを愛しているから」 2011~12年シーズンから始まった女子W杯の黎明(れいめい)期に、高梨沙羅(クラレ)とともに盛り上げてきた。当時、女子ジャンプが注目されるのは日本ぐらい。本場の欧州では男子W杯と違ってテレビ放映も少なく、ほとんどの試合会場で観客はまばらだった。 先輩たちは競技を広めるため、10年バンクーバー五輪から正式種目になるよう裁判所に提訴したが、不採用に終わった。それを間近で見てきたヘンドリクソンは「この競技をメジャーにしたい」と飛んできた。 幻に終わった「沙羅・サラ対決」 女子ジャンプが初めて採用された4年前のソ