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ブックマーク / dime.jp (4)

  • うつ病で辞めた元社員に会社が「1270万払え!」と報復訴訟、裁判所が下した結論は?|@DIME アットダイム

    こんにちは。 弁護士の林 孝匡です。 宇宙イチ分かりやすい解説を目指しています。 今回は裁判例のザックリ解説です。 社員さんがうつ病になって会社を辞めたんです。 すると会社は、 「うつ病なんかウソだろ」 「1270万円の損害が出たから払え!」 と訴訟を起こしてきました。 ~ 結果 ~ 会社が撃沈しました。 (プロシード元従業員事件横浜地裁 H29.3.30) だけでなく、裁判所は社員さんの味方に。 ・この訴訟提起は違法だわ ・この社員さんに100万円の慰謝料を払いな と命じました。 以下、詳しく解説します。 どんな事件か 会社は、コンピューターのソフトウェアなどの販売を行っていました。 Yさんは20代後半の方です。 入社後、どんどん心の調子が悪くなり、約8ヶ月で退職を決意しています。 以下、時系列に沿ってザックリ解説します。 H26 4.1 入社 徐々にうつ状態へと進行していったんだと思

    うつ病で辞めた元社員に会社が「1270万払え!」と報復訴訟、裁判所が下した結論は?|@DIME アットダイム
    nomitori
    nomitori 2023/01/15
    本物の弁護士がこんな軽いタッチで記事書いてるのか…
  • オンキヨーが破産してDENONやMarantzが生き残った理由|@DIME アットダイム

    オンキヨーホームエンターテイメントが5月13日に大阪地方裁判所から破産手続き開始決定を受けました。負債総額は31億円です。 オンキヨーといえば、日を代表するオーディオメーカー。現在のパナソニックである松下電器産業の技術者が独立して立ち上げた会社で、音質やデザイン性には定評がありました。小型かつ高級仕様のINTECシリーズは「ハイコンポ」と呼ばれてオーディオブームをけん引したモデルの1つです。 オンキヨーはなぜ倒産したのか。それは「迷走したから」の一言に尽きます。 オーディオ機器が売れなくなったのは当か? オンキヨーの倒産についてよく語られるのが、消費者の音楽の聴き方の変化に対応できなかったというもの。確かに、プリアンプとパワーアンプ、巨大なスピーカーの前にソファを置き、音楽を聴くというスタイルは古くなりました。スマートフォンやPC音楽配信サービスを入れ、どこでも気軽に音楽を楽しむスタ

    オンキヨーが破産してDENONやMarantzが生き残った理由|@DIME アットダイム
    nomitori
    nomitori 2022/05/30
    PCとオーディオがゆくゆくは融合すると見ていたと思うんだが、それはそんなに間違ってなかったと思うんよなぁ。やはりSOTECがベースじゃ高級音楽PCというブランド価値は作れなかったんかなぁ…前のめりに死んだ感はある
  • ドコモ、KDDI、ソフトバンク、楽天モバイル、5Gネットワーク競争で勝ち残るのはどこ?|@DIME アットダイム

    ■連載/法林岳之・石川 温・石野純也・房野麻子のスマホ会議 スマートフォン業界の最前線で取材する4人による、業界の裏側までわかる「スマホトーク」。今回は5Gネットワークの現在について議論します。 ※新型コロナウイルス対策を行っております DSSだと5Gらしい速度が出ず、4Gも速度が低下する!? 房野氏:ドコモが、5Gネットワークの展開戦略に関する記者説明会を開催しました。ドコモは4G向け周波数を5Gに転用することのデメリットを示していましたね。 株式会社NTTドコモ 代表取締役社長 吉澤 和弘氏 房野氏 石川氏:近々、4Gの周波数帯を5Gに転用できるようにする省令が決まりそうです。恐らくKDDIとソフトバンクは、クアルコムとエリクソンが推進しているDSS(ダイナミック・スペクトラム・シェアリング:4Gの電波に5Gの信号を混ぜて通信する技術)を導入する。DSSはダイナミックにシェアできる技術

    ドコモ、KDDI、ソフトバンク、楽天モバイル、5Gネットワーク競争で勝ち残るのはどこ?|@DIME アットダイム
    nomitori
    nomitori 2020/09/15
    ぶっちゃけてて面白い、5Gはピクトでてりゃいいだろみたいな意見には賛同できないけど…
  • 意外と知られていない忠犬ハチ公の最期|@DIME アットダイム

    意外と知らない忠犬ハチ公の最期 知らない人はいないであろう忠犬ハチ公。 渋谷の待ち合わせ場所としても昔から親しまれている。また、「僕のワンダフル・ライフ」の監督をしたラッセ・ハルストレム氏による映画「HACHI 約束の犬」でも話題になり、世界中の人々にも知られることとなったハチ公。多くの人は、「飼い主であるご主人を待ち続けた犬」ということは知っているだろうが、その背景はどのようなものだったのだろうか。詳細は諸説あるようだが、今回は後世に渡って人々の心の中に生き続けることとなったハチ公について触れてみたい。 ―ハチと上野博士との出会い― 1923年(大正12年)11月10日、ハチは秋田県大館市で生まれた。生まれてから50日が過ぎた頃、ハチは列車で米俵の中に入れられ、荷物と一緒に運ばれた。東京帝国大学農学部の博士であった上野英三郎博士のもとへ行くためだった。1924(大正13年)年1月14日の

    意外と知られていない忠犬ハチ公の最期|@DIME アットダイム
    nomitori
    nomitori 2020/08/16
    うちもこのアイコンの子が亡くなって半年経つが、ずっと一緒だったもうひとりが今でも探しまわってて切ない
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