本に「だれそれ監修」と書いてあることがありますね。だれそれは、たいてい大物です。「監訳」というのもあります。これは「何もしていない。名前を貸しただけ」という意味です。 たとえばサイードの『オリエンタリズム』は、板垣雄三・杉田英明監訳、今沢紀子訳、とあります。訳したのは今沢さんです。杉田さんは、論文といってもいい長文の解説を書いています。板垣さんは、何もしていません。 だれそれ監修、あれこれ著、とあったら、たとえだれそれの名前がどれほど大きく出ていて、あれこれの名前がどれほど小さくても、書いたのはあれこれさんです。だれそれさんは、何もしていません。ですから、「監修」「監訳」とあるのは、その人の書いた本ではありません。「監修」というのは、「大物なので名前を貸した」という意味です。「責任編集」も、それに近いです。国会図書館は、「監修」や「責任編集」を、その人の本と認めないようにしたらどうでしょう