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2021年11月25日のブックマーク (5件)

  • 容貌

    私の顔は、このごろまた、ひとまわり大きくなったようである。 もとから、小さい顔ではなかったが、このごろまた、ひとまわり大きくなった。美男子というものは、顔が小さくきちんとまとまっているものである。 顔の非常に大きい美男子というのは、あまり実例が無いように思われる。想像する事も、むずかしい。顔の大きい人は、すべてを素直にあきらめて、「立派」あるいは「荘厳」あるいは「盛観」という事を心掛けるより他に仕様がないようである。 濱口雄幸氏は、非常に顔の大きい人であった。やはり美男子ではなかった。けれども、盛観であった。荘厳でさえへあった。容貌に就いては、ひそかに修養した事もあったであろうと思われる。私も、こうなれば、濱口氏になるように修養するより他は無いと思っている。 顔が大きくなると、よっぽど気をつけなければ、人に傲慢と誤解される。大きいつらをしやがって、いったい、なんだと思っているんだ等と、不慮

    容貌
    non_117
    non_117 2021/11/25
  • 偶然の産んだ駄洒落

    駄洒落を聞いてしらぬ顔をしたり眉をひそめたりする人間の内面生活は案外に空虚なものである。軽い笑いは真面目な陰な日常生活に朗かな影を投げる。 ある日、私がパリで散髪をしていると理髪師が私に向ってデ・ジャポネー(日人)は騎兵は要らぬそうですねといった。何のことかと聞くとデジャ(既に)ポネー(小馬)だからといった。 人を馬鹿にしているこの駄洒落は異郷の旅愁をかえって慰めてくれた。 旅愁は人生の旅にもおそいかかってくる。軽い駄洒落も時には悪くない。ポール・ヴァレリイは同韻の二つの言葉を双児の交わす微笑に譬えている。偶然の戯れが産んだ三つ児を二組紹介しても別に誰も咎める者はないだろう。 その一つは既に新聞に載ったこともあるからある人々には旧聞に属するかも知れない。和辻哲郎君がまだ京都にいた頃のことである。西田幾多郎先生をお誘いして貴船へ遠足してアマゴでもべようということになった。 天野貞祐君が

    偶然の産んだ駄洒落
    non_117
    non_117 2021/11/25
  • オセロで負けない方法(デジタルリマスター)

    1986年埼玉生まれ、埼玉育ち。大学ではコミュニケーション論を学ぶ。しかし社会に出るためのコミュニケーション力は養えず悲しむ。インドに行ったことがある。NHKのドラマに出たことがある(エキストラで)。(動画インタビュー) 前の記事:仮想通貨の詐欺にあって30万円損した話 > 個人サイト Twitter 実践してみる 僕が考えついた方法は、特に打ち方の勉強が必要だとか特別な訓練が欠かせないというわけではない。用意するものはあるのだが、それは後々お見せすることになるだろう。 というわけで試合開始だ。僕は黒を打ち、先手ではじめる。 序盤で考えても意味ないけど考えるフリ 試合の相手は地元の友達だ。気を使って勝負をする必要は無い。ボコボコにしてやるよ、と言いつつ石を置いていく。 てー。 あー。 うー。 中盤、僕が打つ黒の石は増えたが、その後白の猛撃を受けたり、けどやっぱり黒が返したり……。 このよう

    オセロで負けない方法(デジタルリマスター)
    non_117
    non_117 2021/11/25
  • React Suspenseで不要な描画処理をなくす

    function ProfileDetails() { const user = resource.user.read(); // throw promise here return <h1>{user.name}</h1>; } この仕様自体、それだけで記事になるほど面白いです。(ここでは割愛します。) React Freeze React Freezeは、そんなSuspenseを利用したライブラリです。 元々React側は、データ取得の際に使うことが主なユースケースと言っていたのに対して、このライブラリの目的は、ある瞬間にユーザーに表示されていないアプリの部分について、不要な再レンダリングを避けることとなっています。 どうやって実現しているのでしょうか? 実は、ライブラリの実装もシンプルで興味深いです。 // ref: https://github.com/software-mansi

    React Suspenseで不要な描画処理をなくす
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    non_117 2021/11/25
  • つるんでもひとり - しゅみは人間の分析です

    インターネットの人たち、いや世の中の人たち一般はいつも敵味方をよく識別しているな、と思った。また、日常的なコミュニケーションでも特に障壁がなければ仲間を増やそうとしてくる。例えば漫画を勧めて読ませるとか。何を観ても「共感」で判断するとか。 私はどこかの段階で仲間意識をなくしてしまった。これはそのうちブログに書くであろう、私がAphantasia(イメージ盲)だった話にも繋がる。ちょっと認知の形式が違うので波長が合わないのだ。まあ仕方がない。私にはこの認知形式しかないので。ともあれ、仲間仲間、敵だ敵だとやっている社会からちょっとだけ身を引いている気持ちがある。ちなみに氏も似たような考えである。いや、むしろ私よりも過激かも。われわれは仲間が云々という考えで行動していないのだ*1。 まあ私の話はどうでもいい。それよりも仲間意識で説明できる社会現象が多そうだからこちらを考えていきたい。たぶん理論

    つるんでもひとり - しゅみは人間の分析です
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    non_117 2021/11/25