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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/f-ryota (7)

  • ゼロ年代の「内向の世代」 - 仮想算術の世界

    …というわけで、ネット断ちしてました。最近はトーマス・マンの『魔の山』とかアウグスティヌスの『告白』とか李漁の『十二楼』とか読んで、それぞれに面白かった。凡庸きわまりない言い方ですが、やはり古典とはすごいものです。たとえば、『魔の山』は第一次世界大戦でヨーロッパ世界が根的に変わってしまう、その手前を描いたおとぎ話です。もし同じようなことを、いまの日でやるとしたらどんな文学になるだろうと考えてしまう。 実際、ゼロ年代は、戦後日が蓄えてきた社会的遺産がぼろぼろに潰えていく10年でした。「オタク・イズ・デッド」(岡田斗司夫)というのは、その象徴みたいなものです。僕は自分のことを明確に「ポスト戦後」の文芸批評家だと思っていますが、それはポスト戦後的な状態になる「前」がどんな社会だったのか、もうほとんどわからなくなっているということでもあります。純文学がどういうものだったのか、オタクがどうい

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    noreply 2008/07/20
    『魔の山』はフェアリーテール
  • MADは「日本文化」 - 仮想算術の世界

    …というわけで、この機会に2週間くらいネット断ち(メール除く)して、腰を据えてでも読もうと思っていた矢先の、ニコニコ動画のMAD削除問題。アニメやドラマ一まるまるアップしている動画ならともかく、MADまで削除するのは明らかにやりすぎですが、これについて著作権の問題等含めてきちんと書くには、いまの僕は用意が足りていません。 ただ、文化批評的な観点から言えることがあります。そもそも、ニコ動のMADはいま相当数の人間が関わる文化圏になっていて、そこに楽しみを求めているひとも大勢いる。まず単純に、その文化圏を権利侵害を盾に萎縮させていいのかという現実的な問題があります。 それから、MADには日文化のひとつの伝統的なスタイルが凝縮されている、という点も見逃せません。たとえば、かつて三島由紀夫は伊勢神宮を例に出しながら、日文化の柱は実体ではなく、実体をつくりかえていく「フォルム」にあると述

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    noreply 2008/07/05
  • ゆるい宗教国家 - 仮想算術の世界

    こんにちは。先週のコードギアスはぶっちゃけ天子様目当てで3周しました。 そんなどうでもいい話はさておき、今度『ユリイカ』で連載を始めることになりました。タイトル、掲載月その他は追って告知しますが、このブログの読者はよくご存じの「神話社会」についての考察が主題になります。第一回はプラトンと神話の関係について。経験上、たぶんネットでの反応は限りなく無に近いと思いますが(笑)、ともあれお楽しみに! * ところで、「神話社会」と聞くと、ふつうは何か宗教国家のようなものを思い浮かべると思います。これは別に間違いではない――というか、むしろ僕は2010年代以降の先進各国は「ゆるい宗教国家」のようなものになると思っているのですね。たとえば、『思想地図』の論文で「現在の台湾は、十年後の日かもしれない」という意味のことを書きましたが、これはレトリックでも何でもなく、けっこう気でそう思ってます。台湾

  • 岡田斗司夫氏の新著について - 仮想算術の世界

    岡田斗司夫さんの『オタクはすでに死んでいる』。僕は発売直後に読み、ふつうに納得してそれで終わったのですが、さっきちょっと気になってネットを調べてみたら予想外に否定的――というかむしろ嘲笑的――な反応が多くて驚きました。そんな簡単にバカにしていいんでしょうか。 僕の印象では、ネットの評判は「オタクは死んだというが、それは岡田の思いこみで、いまでもオタクはいるし、これからもオタクは生き続けるだろう」というひとと、「岡田が言うように昔ながらのコアなオタクが死んだとして、だからどうだというのだ」というひとに大きく分かれています。けれども、それはどちらも浅い主張だと思います。 そもそも、なぜ論壇はオタクに惹かれるのか。いろいろな側面はあると思いますが、いちばん単純な理由は戦後の問題です。東浩紀さんがずっと言っているように、オタクというのは戦後日の価値を凝縮し、かつ大きくねじ曲げた文化階層として

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    noreply 2008/05/12
    "ゼロ年代がオタクの遺産を食いつぶしていく10年だったとして、2010年代の実作や批評はその厳しさに直面することになると思います"
  • 思想地図、グローバル化、チベット - 仮想算術の世界

    原稿に四苦八苦していて、更新が滞ってました。すみません…。 『思想地図』ですが、うちの大学の屋には人文系新刊、NHKブックス、思想系の棚、それぞれに2〜30冊くらいがどどんと陳列されており、今週の月曜日に指折り数えてみると83冊もありました。あのオレンジが人文の棚をいつぶしている光景は、なかなか壮観、というか率直に言ってシュールです(笑)。皆さん買って下さい… で、僕の原稿ですが、ある程度予想していたこととはいえ、ポジティヴな反応は限りなくゼロに近いですね。たぶんテーマが「台湾のラノベ」とかいう時点で、70%くらいの読者は脱落してるんじゃないかと思う。しかも、政治については何も語っていないので、いまの中国のホットな話題とも全然繋がっていない。ついでに、同業者からはくだらない批判メールが来る。まぁ冷静に考えれば、九把刀なんて名前の読み方もわからない謎の台湾人とか(現地では「ジウバーダ

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    noreply 2008/05/03
    "たぶんテーマが「台湾のラノベ」とかいう時点で、70%くらいの読者は脱落してるんじゃないかと思う" 翻訳されるまで福嶋さんには頑張ってほしい。
  • 文学のグローバル化について - 仮想算術の世界

    今月号の『ユリイカ』は「新しい世界文学」という特集を組んでいる。とはいえ、そのなかに収録された座談会の論調が典型であるように、それはむしろアイロニカルなニュアンス、つまり「世界文学という概念そのものがもはや古いのではないか」という反語的意味を強く帯びている。これはごくまっとうな認識であり、僕もまったく異存がない。そして座談会では、その認識のもとで、多くの海外小説が紹介されている。 ところで、こういう座談会を読むにつけ、僕はやはり日というのはとても“いい国”だと強く感じてしまう。たとえば、いまもし中国で「世界文学」について座談会を組んだとしたら、おそらく彼らはごくストレートにグローバル化の問題を語るだろう。なぜなら、彼らにとって外国文学というのは、端的にアメリカでベストセラーになった小説のことだからだ。具体的にそれはマークース・ズーサックであり、カーレド・ホッセイニであるのだが、そういっ

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    noreply 2008/03/03
    ”たとえば、いまもし中国で「世界文学」について座談会を組んだとしたら、おそらく彼らはごくストレートにグローバル化の問題を語るだろう…平たく言えば、日本の「世界文学」と中国の「世界文学」とでは意味が違っ
  • 新霊性文化について - 仮想算術の世界

    前々回のエントリーでは、アイデンティティや内面性についての批評家の関心は、日では主に90年代の社会的空気に根ざしているという意味のことを書いた。とはいえ、誤解のないよう記しておけば、僕は、現在でもある種の「実存主義」らしきものが出ていることは否定しない。ある意味では、「現在でも」というより「現在こそ」というべきかもしれない。それは、たとえば宗教に対する関心が薄れていないことにも現れている。 たとえば、僕がいま宗教といってまっさきに思い浮かべるのは、台湾のことである。台湾の書店に行くと、スピリチュアルや癒し、あるいはセックス・ライフを扱ったがかなりの割合を占めているのに気付く。むかしエドワード・ヤンの映画で、母親が新興宗教に入信してしまい、取り残された子供が孤独に追い込まれるという筋書きの話があったが、そういう事例もたぶんそれほど珍しくないのだろう。しかし、それもあまり狂信的な感じはし

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    noreply 2007/07/04
    「彼らを媒介しているのは上意下達のシステムではなく、商業的で営利的なネットワークであり、そこではしばしば欺瞞的な商法も起こり、トラブルも発生しているという」
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