学園祭の前日が楽しいもの、とか、学園祭が楽しいもの、とか、そういう感覚がよく判らない。概念としては理解できるのだけど、学園祭の準備なんてただ面倒くさいだけだし学園祭なんてしけた祭りでしかも強制参加じゃないか。いや、マジ、よくあそこまで理想化できるよなあ。つまりは学園祭の楽しさというのは「友達と特別なハレの日を迎える」ことの楽しさであって、友達とかいなかった自分からすればよそごとであるのだろうなあ。それでも、自分が学園祭を書くときはやはり定型にしたがって楽しいもの、ハレの空間、として書くだろうけど。「パレードの日、影男を静かに消せ!」というわけにもいかないでしょう、と。ぼくは明らかにそっち側の人間なのだけどね。 とかいってたら「楽しくやってた」当事者からも、ああいうのは「自分たちがうまくやれなかった」願望を投影して作ってるんだよ、と、指摘されてなんだか知らんが妙に安心したり。よかった。楽しい