●『魔法少女まどかマギカ』を改めて最後まで観て、もう一度「魔法少女たちの舞台装置」(石岡良治『「超」批評 視覚文化×マンガ』所収)を読み返した。そして、うーん、成る程、と、改めて唸らされた。 まどかは、作品世界内の物理法則に従いつつ、その範疇で魔法少女-魔女システムを改変するという奇跡を、ラッセルのパラドックスのような「願い」を創造することによって成し遂げたと言える。しかしそれによって、自分自身がラッセルのパラドックスのような存在になってしまった。 ちょうど今『ユリ熊嵐』をたまたま観ているからそう思うのかもしれないけど、「まどマギ」と「ユリ熊」(というか、幾原作品)とは対称的でもあり、相互に相手を批判し合っていてもいるような緊張関係にあるのではないかと思った。 (「ユリ熊」最終回についてはまた別に書くつもり。) まず、幾原作品ではシステムは改変されない(つまり、その意味では革命は起こらない