憲法9条を守れというと「左翼政党の主張」と反射的にとらえる人たちが多くなったのは1990年代以降のことだろう。かつては、『軍縮問題資料』という月刊誌を発行していた宇都宮徳馬という自民党議員がいた。この雑誌は、宇都宮徳馬が74歳の1980年に創刊され、2000年に宇都宮が93歳で長逝した後の現在も発刊されている。 2005年の東京新聞記事によると、自民党異色のハト派として衆院議員を10期務めた徳馬氏は、1976年にロッキード事件と金大中事件の党の対応に抗議し、離党、辞職した。そして、1980年の参院選東京地方区に無所属で立候補し、「超法規」発言で知られる、民社党の栗栖弘臣・元防衛庁統合幕僚会議議長と議席を争った。1976年に離党したとはいえ、宇都宮徳馬は、1955年の保守合同以来20年以上も自民党に籍を置いていたのである。 一昨年に読売新聞が実施した憲法に関する世論調査によると*1、改憲に反