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2011年1月7日のブックマーク (3件)

  • 南京大虐殺における殺戮の簡略な分類 - 非行型愚夫の雑記

    南京事件(南京大虐殺)は日軍が当時の中国国民党政府の首都である南京を攻略する際に発生した事件です。 揚子江(長江)のほとりにある南京は市街地の周りに城壁をめぐらした城砦都市で、日軍はこの南京に対して上海から西進してきた陸軍と揚子江を遡上してきた海軍の協同による徹底した包囲殲滅戦を行いました。 この包囲殲滅戦とその後の残敵掃討戦において日軍は中国軍民に対して様々な残虐行為を行いました。 その様々な残虐行為の内、殺害に関して以下に簡略に分類します。 1.捕虜及び投降兵の殺戮 投降した中国兵の処刑。国際法的に黒。 戦闘詳報や陣中日記といった日側史料だけでもその事実は明らか。 以下に一例を挙げます。 第114師団 第66連隊 第一大隊戦闘詳報 〔12月12日午後七時ごろ〕 最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して投降せば、助命する旨を含めて派遣するに、その効果 大にし

    南京大虐殺における殺戮の簡略な分類 - 非行型愚夫の雑記
    norton3rd
    norton3rd 2011/01/07
    コメ欄にこの分野での大物次々登場/とは言え『ぼくの考えたハーグ条約』のヒトのイタさは相当で、これで『虐殺否定論者ではない』そうなんだから(ry
  • Gazing at the Celestial Blue 7周年が過ぎ

    7年前の12月29日、小さい縞々のお嬢さんが、我が家の一員に加わった。  当初の彼女に関しては過去記事で何度か言及したかと思うが、人間が怖くてたまらない野生児で、最初の最初は、坊ちゃん相手ですらお互いにふーしゃー言ってたので、なじんでくれるかと気で心配したが、先住の坊ちゃんの方が先に受け入れた。最初は隠れ家に提供した箱に引きこもっていた彼女は、4日目には引きこもりを止めて居室の探検を始め、5日目から坊ちゃんと一緒にコタツ生活を楽しみ初め、2週間もしないうちに坊ちゃんと毛繕いのしあいを始めた。 同士はともかく、人間に怖い目にあわされた経験をもつらしい彼女は、家族になった人間でも当初はやっぱり怖かった。人間が座っている間ならすぐ傍に寄り添いに来るようになってからも、人間が所用で経つ度にあたふたと逃げ惑う。尻尾を垂らした姿勢の低い匍匐前進で逃げていく彼女を見ながら、下僕はもの悲しい思いに

    norton3rd
    norton3rd 2011/01/07
    三十年以上前に、ウチで飼っていた(俺が六歳のときから二十一歳になるまで十五年家族の一員だった)犬が死んだときのことを思い出した。でも璧猫姐さんに見送られたお坊ちゃんは幸福だよな
  • きまぐれな日々 本当に必要なのは減税ではなく、再分配の強化なのだ

    年末年始に体調を崩していたせいもあるのかもしれないが、現在ほど重苦しい時代の空気は、ちょっと記憶にない。バブルが崩壊してから数年後の90年代末に、「第二の敗戦」などと言われた。ネットで調べてみると、これを言ったのは江藤淳で、1997年12月に発売された『文藝春秋』1998年1月号に書いたものらしいが、江藤淳は1999年に自殺した。 その2年後、閉塞感を打ち破れとばかり現れたのが小泉純一郎であり、彼は「抵抗勢力」を設定して、それへの批判を集中させる手法で人気を得た。小泉の錦の御旗は「規制緩和」であり、官僚支配を脱して「官から民へ」と「改革」を行い、「小さな政府」を実現させれば、日に明るい未来があるはずだった。だが、それは幻想に過ぎなかった。 90年代末にも「閉塞感」が語られたが、10年代初めにも再び「閉塞感」が語られている。だが、現在の陰さは90年代末の比ではないように思われる。日人は

    norton3rd
    norton3rd 2011/01/07
    『俺たちゃみんな貧乏人なんだ。「国や地方自治体は再分配をもっと強化せよ」と言って何が悪い。』そういう声を高らかに上げて自己救済を目指すことこそビンボー人の『自己責任』だよな