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2016年9月24日のブックマーク (2件)

  • 電車内の「ベビーカー問題」は解決できるのか

    ベビーカー論争は、鉄道会社が条件付きにせよ「ベビーカーを広げたまま乗ってかまいませんよ」とお墨付きを与えたものの、どのような状況ではどうするか、実際の決定は個々の良識と判断にゆだねられているところにある。 近年、街や駅のバリアフリーは著しい進化を遂げた。高齢者や体の不自由な方々はもちろん、昔はある程度大きくなるまで自宅近辺以外出かけるすべのなかった幼い子連れも、自家用車を使わず楽にあちこち移動することが可能になった。さらに共働きによる保育園通いやお子様歓迎の施設も増えたことで、子連れが鉄道やバスを利用する機会はさらに増えている。 バリアフリーが事態を深刻化させた? バリアフリー自体大変よいことであるが、その功績がベビーカー論争のような現象を引き起こすひとつの要因となっていると言えなくもない。待機児童の多い自治体が解消に努めたところ、その成果が人を呼び込み、事態がさらに深刻になることがあるよ

    電車内の「ベビーカー問題」は解決できるのか
    norton3rd
    norton3rd 2016/09/24
    何が『問題』だよざけんじゃねー
  • 一人で全部を演じる「落語」は本当に面白いのか? (メディアゴン) - Yahoo!ニュース

    高橋維新[弁護士/コラムニスト] *** 落語は、通常複数の登場人物を一人の噺家がすべて演じる。この演じ分けがうまい人がいるのも確かで、それができる噺家が「名人」と呼ばれるのだろう。 しかし、落語という文化のあり方はさておき、「観客の理解」という点においては、確実に、登場人物一人一人の全てに、違う演者をあてがった方が分かりやすいのは確かである。 落語家がヘタな場合、一人で全部を演じられてしまうと、「今しゃべっているのは誰なのか」が分からなくなり、迷子になってしまう。素人落語はその典型だ。そして、どんなに演じ分けがうまい人であっても、登場人物が増えてゆくと、いずれ限界を迎えてしまう。名人クラスの落語を見ていても、「あれ、これって誰だっけ?」と思わされる瞬間はある。 なぜ落語は一人の噺家に全てをやらせるという手法に固執しているのだろうか。これは、筆者が長年抱いていた疑問であった。

    一人で全部を演じる「落語」は本当に面白いのか? (メディアゴン) - Yahoo!ニュース
    norton3rd
    norton3rd 2016/09/24
    『客に払ってもらうお金もその分増えるかもしれないが、それはまた別の問題』馬鹿じゃねーのか。落語は大衆芸能だぞ。俺は故先代文枝師匠の『葛の葉』を千円で鑑賞した。同じ演目は歌舞伎にもあるが値段は違うだろ