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ブックマーク / sociology.jugem.jp (4)

  • 「夢はあきらめなければ必ずかなう」言説の功罪を大学院の文脈で考える | Theoretical Sociology

    モーニング島田編集長『「あきらめなければ夢は必ずかなう」ほど悪質な言説はない』というつぶやきに対する漫画家さんたちの反応が盛り上がっていて面白く読んだのだが、私自身も研究者を目指す大学院生にどう対応するかというところで類似の問題に直面するので、少し私自身の考えを整理しておこう。「あきらめなければ夢は必ずかなう」という命題が常に真かと言われれば、島田編集長の主張する通りあきらめなくても夢がかなわなかった人はいるので、真とは言えない。しかし、もう少し確率的に解釈しなおして、 あきらめた人よりもあきらめなかった人のほうが夢がかなう確率は高い と考えるならば、これはほぼ間違いなく正しいだろう。才能がどうとかいうのは、「死ぬほど努力した後にしろ」といわれることがあるのはもっともであるし、死ぬほど努力できないのならば、それはもともと「夢」というほどのものではなかったのだろう。 しかし、夢がかなう確率は

    「夢はあきらめなければ必ずかなう」言説の功罪を大学院の文脈で考える | Theoretical Sociology
    nosem
    nosem 2012/03/04
    僕もわかりません.
  • 修士課程修了後10年のあいだに何をなすべきか:一つのロードマップ | Theoretical Sociology

    以前から、修士課程を修了した後にどのように研究を進めていくのがいいのか、いろいろと迷うことがあったので、今のところの私の考えをまとめておきたい。若い研究者が置かれている状況は、この20年ほどのあいだに大きく変化したため、自分の個人的な経験則や、私が上の世代から教えられてきた処世訓が必ずしも当てはまらない。それゆえ、迷うことも多いのだが、文章化することで私の考えをまとめておきたい。すでにこのブログに書いてきたことと重複している部分も多いと思うが、とにかく書きます。また、これは社会学、それも私の専門を想定した話なので、分野の違う場合はあてはまらないかもしれません。そういう場合は、適当に距離を置いて考えてください。 ピアレビュー付きの雑誌への投稿  修士課程が終わった後は、修士論文を発展させた論文を書き、ピアレビュー付きの雑誌に投稿するのがよい。ピアレビュー付きの雑誌とは、昨今多くの大学にある「

    修士課程修了後10年のあいだに何をなすべきか:一つのロードマップ | Theoretical Sociology
    nosem
    nosem 2011/01/10
     なかなかできてないよなあ...
  • 日本社会学会大会雑感: 方法論の喪失? | Theoretical Sociology

    社会学会大会が立教大学で開かれたので行ってきた。また風邪をひいたため1日目は少し遅れていったのだが、学内で結婚式を挙げているカップルもあり(噂ではキャンパス内にチャペルがあるらしい)、1日目はよく晴れていたせいもあり、美しいキャンパスがさらに美しく見えた(写真ではあまり美しく見えませんが、1日目はこれより100倍ぐらいきれいだった)。 今回は真面目にずっと参加していたのだが、全体的な印象としては、「方法論が失われているのではないか?」ということである。方法論とは、研究を進める手続きのようなものである。例えば学説研究ならば、コーパスのようなものを作り、その範囲内のテキストはきっちりと読み進めていく、といった常識的な手続きである。かつての農村研究にも、農村にフィールドワークに行くときは、こういう手順であいさつしたり話を通したり、資料を収集・整理しなさい、といった常識的な手続きがあったはずで

    日本社会学会大会雑感: 方法論の喪失? | Theoretical Sociology
    nosem
    nosem 2009/10/16
    研究的に駄目な人が教壇に立っているのではなく,教壇に立つようになって駄目になったのかもね
  • 阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology

    明日から京大に異動になります。阪大には6年間、助/准教授として働きましたが、当に楽しい6年間でした。 最後に日の社会学に対する危惧を一つ述べておきます。日の社会学の特徴は、アカデミズムの軽視だと思います。すなわち、学会報告や学会誌を軽視しているということです。学会発表もせず、学会誌に論文を投稿もせず、それでも社会学者づらしてを出版したり、さまざまなメディアで発言することができるのが、日社会学の実情です。このようなことが起きるのは、学会報告や学会誌が、新人の登竜門として位置づけられており、その評価が低いからだと思われます。エライ先生はしか書きません。エライので査読を受ける必要もありません。こっそり紀要などに考えを公開することはありますが、人から評価されるのは恐ろしいので、学会誌には絶対投稿しません。出版社もが売れさえすればいいので、研究の水準や主張の真偽は気にしません。エライ先

    阪大を去るにあたって: 社会学の危機と希望 | Theoretical Sociology
    nosem
    nosem 2009/03/31
     文系だと一般的に1冊の著書って査読論文5本分くらいの換算になるんだよなあ
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