三菱財閥による強制連行・ 戦時労働奴隷制について はじめに 三菱財閥は三井財閥と並んで日本の帝国主義戦争を支えたコンツェルンである。三菱財閥の主要な生産は鉱業と重工業にあった。それらの現場には戦時下、数多くの朝鮮人・中国人が連行された。また、アジア各地での侵略戦争とそれによる占領地の拡大によって、三菱は各地で資源略奪に向けての事業をおこなった。そこでは現地の民衆が戦時動員された。 戦時下日本へと三菱財閥関連で連行された朝鮮人は一〇万人を超えるとみられる。アジア各地で三菱が動員した人々も数多い。連行先で死亡してもその連絡がないまま、遺骨が今も現地に残されているものもある。最近では、九州の三菱鯰田炭鉱、北海道の三菱美唄炭鉱での死者の未返還の遺骨が発見されている。連行状況や証言などからみて、連行された人びとは強制労働のなかにあった。その状況を労働奴隷制としてみていくこともできるだろう。 ここで