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2017年4月7日のブックマーク (3件)

  • アメリカ・インディアンの酋長に関する疑問

    Wikipediaでインディアン関連の項目を眺めていると、各所に「酋長とはあくまで調停者であって指導者や代表者ではない」と強調するような記述が出て来る。 インディアンたちには指導者など存在せず、それを白人たちは理解できなかったので、酋長を指導者と見なして見当違いな交渉を行ったのだ、といった主張である。 しかし、Wikipedia以外で同様の主張は見つけられない。 たとえば日語版の「ジェロニモ」の項目。 ジェロニモ - Wikipedia ちなみに戦士集団だったアパッチ族には「酋長に戦士が服従する」という義務も風習もない。戦士は結束はしてもすべて個人行動で動くものであって、戦士たちはジェロニモ個人を慕って抵抗戦をともにしたのである。ジェロニモが軍事的な指導をしたこともない。 インディアン社会のチーフ(酋長)とは、交渉の矢面に立つ「調停者」のことであって、「指導者」や「首長」ではない。合議制

    アメリカ・インディアンの酋長に関する疑問
    novak777
    novak777 2017/04/07
    ジェロニモについては鎌田遵「ネイティブ・アメリカン」(岩波新書 2009年)を読むと良い。インディアンのイメージがどのように作られていったかよくわかる。
  • 九州大学入学式祝辞 「共感」の落とし穴 - ロバート キャンベル公式サイト

    建ったばかりの椎木講堂は満員。九大フィル演奏、久保総長の告辞、新入生総代による誓詞、同窓生紹介の後に、来賓すなわち私の祝辞。 人が「いいことをしたい」気持ちって何だろう、という疑問を中心に約10分の話。終わってから、「文字として読みたい」というツイートが流れたので、再録(というより、初めて公開)します。 なお最近、共感の危うさについての優れた考察がいくつか発表されています。今回はとくにPaul Bloomの Against Empathy: The Case for Rational Compassion (New York: 2016年)と

    九州大学入学式祝辞 「共感」の落とし穴 - ロバート キャンベル公式サイト
    novak777
    novak777 2017/04/07
    “共感とは、目の前にいる、ごく限られた人々、自分と共通点をもつ人間にだけ当てられたピンスポットのようなもの”スポットライトの明るさに理性が慣れてはいけないな。
  • 教育勅語はなぜ必要か

    などと暴言を吐いたことが伝えられている。 発端は、東京電力福島第一原発事故で今も帰れない自主避難者について、国が責任を取るべきでは、との記者の問いに対して、今村大臣が 「人の責任でしょう。(不服なら)裁判でも何でもやればいいじゃないか」 と発言したことだった。 この後、記者と大臣の間で口論になり、大臣は冒頭で紹介した言葉を残した上で、会見を一方的に打ち切って退出している。 最近は、こういうことが起こると、即座に動画が出回る。 YouTubeで「復興大臣」を検索すると、7分ほどの会見の動画がヒットする(こちら)。 見ると、最後の1分ほどのところで、大臣は、 「なんという君は無礼なことを言うんだ」 「撤回しなさい」 「二度と来ないでください君は」 「うるさい」 と、強い口調で記者を叱責している。 この時の模様は、いくつかのテレビ局からニュース映像として配信されている。 なお、書き起こしのテキ

    教育勅語はなぜ必要か
    novak777
    novak777 2017/04/07
    “教育勅語を教材に採用しようとしている人たちが、子供たちに伝えたいのは、「教育勅語の中の憲法に反する部分」だ”“「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」”