幕末の動乱期に長州藩と幕府軍が衝突した「禁門の変」に参戦した新選組が、戦闘の前に、今の京都市南部の村人の家に宿泊していたとみられることが、当時の村の有力者の日記から明らかになりました。 この日記は、現在の京都市南区にあたる東九条村の幕末の豪農、長谷川軍記が書いたもので、おととし、末えいが見つけ、京都女子大学非常勤講師の中村武夫さんに調査を依頼しました。 中村さんによりますと、日記には、禁門の変の戦闘が始まるおよそ1か月前の元治元年6月25日、新選組のことを指すとみられる「壬生浪士」の一行が村人の家に宿泊したと記されているということです。 当時の状況を描いた絵などから、これまで新選組は、鴨川の川辺に野営していたのではないかとみられていました。 また、戦闘が行われた7月19日には、「東九条村に敗走してきた長州の軍と新選組が鉄砲で打ち合い、長州は負けて西へ逃げ去った」と書かれています。