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2015年2月17日のブックマーク (5件)

  • 過労死を促進させる「残業代ゼロ」法案を「過労死防止法案」と呼ぶべきとする珍論について(佐々木亮) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    ヤフーニュースの「雑誌」のところにある次の記事が目に入ったので読んでみました。 「残業代ゼロ」法案=過労死法案の誤解を解く(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース これは八代尚宏先生による文章とのことです。 八代先生は、経済学者で、ご専門は労働経済学とのことです。 この文章で私が驚いたのは、次の一節です。 残業代がなくなれば、社員は際限なく仕事を押し付ける「過労死法案」という批判もある。しかし、それを防ぐために、労働時間の上限を定める規制に改革するもので、来は「過労死防止法案」と呼ぶべきである。 出典:「残業代ゼロ」法案=過労死法案の誤解を解く 健康確保担保措置についての誤解を解く八代先生的には、今回の「残業代ゼロ」法案(厳密にはまだ法案にはなっていませんが、便宜上「法案」と呼びます)は、労働者の健康確保を担保する措置を図っているから上記の引用のような見解になっているようで

    過労死を促進させる「残業代ゼロ」法案を「過労死防止法案」と呼ぶべきとする珍論について(佐々木亮) - エキスパート - Yahoo!ニュース
    nowa_s
    nowa_s 2015/02/17
    残業代稼ぎにダラダラ働く悪の労働者はどこにそんなにいるというのだ。残業する=がんばってる(定時で帰る=怠けてる)的な価値観の、悲しいほど顛倒した人々は溢れてるにしても。残業代0にしたって顛倒が強化されるだけ
  • 日本の識字率は100%じゃない? 男性教諭の実感 | AERA dot. (アエラドット)

    高度経済成長の中で広まった「一億総中流」の意識は、すでに過去のものとなったのか(撮影/写真部・岡田晃奈)この記事の写真をすべて見る じわじわと広がる日社会の格差。それは教育にも多大な影響を与えている。 「日は識字率100%ではないのではないか」 関西の公立中学校で社会科を教える男性教諭Aさん(39)は、そんな疑問を持っている。 授業で生徒に教科書を音読させると、漢字をほとんど読み飛ばす。自分の住所も書くことができない。そんな生徒はクラスに1人、2人ではない。 感じるのは、そうした生徒たちは、生活保護を受けるなど貧しい家庭の子が多いということ。夜に親が家にいない子も多い。ひとり親で、生活費を稼ぐために夜も働いているからだ。 「経済的に恵まれた家庭とは、など周囲においてあるモノ、日常的に接する文字がまったく違う。文字をちゃんと読めないまま卒業しても、健全な社会人になるとは思えない。まさに

    日本の識字率は100%じゃない? 男性教諭の実感 | AERA dot. (アエラドット)
    nowa_s
    nowa_s 2015/02/17
    携帯端末の普及は、子供が文字に触れる機会と時間を増やしたろうけど、子供が触れるのはかなり口語的なものが多いだろうから、語彙を広げる方向にはいかなさそう。手で漢字を書く能力については言わずもがな
  • (笑)、()、w みたいのを使う人

    ふざけて書いてる文章で使うのはいいとして、真面目に書いてる文章で使うのってなんなんだろうね。 「ネットサーフィン()」とか、いかにも情弱が使いそうな単語だから先手をうって「わかっていて使ってますよ」ってアピールしてるんだろうか。 この人、他人からバカと思われなたくなくて必死なんだろうなって痛々しく感じる。 追加 ブコメで(笑)は昔から使われてるってツッコミあるけど、それは対談の文字起こしなんかで第三者が笑ってるのを表すために使ってたやつだろ。 最近の自分が笑って自分で(笑)とはぜんぜん違う。

    (笑)、()、w みたいのを使う人
    nowa_s
    nowa_s 2015/02/17
    自分で笑って自分で(笑)と書くのは、80年代の昭和軽薄体あたりから90年代のサブカル文体を経て定着したんじゃないかと思うけど、単なる笑いじゃなく主に嘲り表現のための「(笑)」は00年代後半?
  • 曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」:朝日新聞デジタル

    11日の産経新聞紙上に掲載されたコラムが「アパルトヘイトを許容している」との抗議を受けたことについて見解を求めたところ、作家・曽野綾子氏は朝日新聞に次のコメントを文書で寄せた。 ◇ 私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。 私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。 私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。 ◇ 〈その・あやこ〉 1931年生まれ。堕胎を扱った「神の汚れた手」など著書多数。2003年、夫の三浦朱門氏に続き文化功労者。13年1月に安倍政権

    曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」:朝日新聞デジタル
    nowa_s
    nowa_s 2015/02/17
    文科省謹製「道徳」教科書に取り上げられた人物が「南アで差別が廃止された後、黒人が白人専用居住区に越してきたら荒廃して白人が逃げた。人種で居住区を分けたほうがいい」と書いて批判され、出した回答が、これ。
  • もう美少女と付き合える可能性がないということ - しっきーのブログ

    どうも、しっきーです。可愛い女の子っていますよね。最近は、道を歩いていてすごく綺麗な女の人とすれ違っても、「(☝ ՞ਊ ՞)☝うひょー⤴︎⤴︎」みたいな感じにはならずに、心に冷たい風が吹きます。 世の中には、可愛い女の子とデートをしたり、二人でご飯べたり、一緒にだらだら時間を潰したり、同じ家に住んだりする人間が存在するんですよね。そして、そいつらも生物学的には私達と同じ人類なんですよ!どうですか?死にたくなりませんか? 僕はもう23歳だし、大学を卒業します。 これからは、女子大生の半径5メートル以内に入ることさえ、有り難く思わなければならない。仮に女子大生と会話する機会がこようものなら、「(い気味に)い、いいんですかああ!?」と言わなければならない。もう暇な女子大生のブログを純粋に笑って読むことはできないでしょう。そもそも暇な女子大生もすでに女子大生じゃないし。 現実が上手くいかないの

    もう美少女と付き合える可能性がないということ - しっきーのブログ
    nowa_s
    nowa_s 2015/02/17
    現実で恋愛をすると(別に絶世の美形とかとじゃなくても)、創作の異性や恋愛表現への執着がぴたっと薄れる人と、変わらぬ愛着を抱き続ける人がいるけど、あれは何が違うんだろう